『大衆の反逆』投げ出し

半分以上読んで投げ出すのも面白くないのですが・・・ちょっと耐え難い。

悪臭ぷんぷん。鼻持ちならない。細かいことは省略。放下すに限る。

書かれている内容には、考えさせられるところも少なくないのですが、ね。(だからここまでついてきたのですが)

・・・作者は人を不愉快にさせる天才かも知れません。(気持ちの切り替えができれば、また読むかも。借りた本ではなく、買った本ですから)

 

プルードン・セレクション』相変わらず、よく分からないままに読んでいます。

だんだんペースが落ちてきましたね、さすがに。

大事なことが書かれていると思うのですが、よく分からないのが残念。

 

誤解を恐れずにいえば、革命で国家が倒れてしまうぐらい、国家は脆い、それに比べて、職能集団の結束のようなものは、大事だし強い、と考えようとしていたのだろうか。あるいは、事実脆かったのか・・・しかし、革命を機に、国家は保守化し(完全にトップが入れ替わり)、組織された軍隊を背景に強力な体制へと変化していった・・・

 

・・・多分、この延長に、第一次大戦(国家同士の利害の衝突)のようなものが待ち構えているのだろう。

 

プルードンには、まだまだいろんな可能性があるように見えていた・・・が。

 

手元に『神々は渇く』(アナトール・フランス)角川文庫  がある。以前古本で買ったものなのだが、読む気がしないで、ほったらかしにしてある。フランス革命の雰囲気が伝わってくる、というのだが・・・

・・・思い出したが、多分今度も読まないだろう。

 

・・・・・・・

 

久しぶりに晴れた。

 

 

 

 

 

雑感

プルードン・セレクション』(平凡社ライブラリー

やはり、予感していた通り、ほとんど理解できない。

 

ときどき少しだけ分かったような文句に出会う。

【ルソーは、社会契約が規定し規制するように要求されている数多くの関係のうちで、政治的関係だけしか見ていない。いいかえれば、かれは契約の根本的な点を抹殺して二義的な点のみを研究している。ルソーは、社会契約の本質的で不可欠な条件のなかに、契約者の絶対的自由、その直接的、個人的参加、事情に通じた上での署名、自由と福祉の増大を見出すべきであったのに、そのどれをも理解も尊重もしていない。】p59

 

確かに、契約者の絶対的自由など考えても居ないような気がしますね

 

【革命の原理は、今なおわれわれが知るように、自由である。・・・・

諸権力の集積を手段とする、人間による人間の支配をなくすこと。

資本の集積を手段とする、人間による人間の搾取をなくすこと。

自由!これが社会哲学の最初の言葉であり、最後の言葉なのだ。】p141

 

こういう考え方を突き詰めてゆくと、国家という形態そのものが胡散臭いものと見えてくる・・・

 

同時並行的に『大衆の反逆』岩波文庫 も読み進めているのだが、これも、易しいようで(言葉がこなれていて)、易しくない(内容、そして饒舌!)。

 

平等と自由は、相反するところもあるように思うのだが、平等の方向へ進んできた社会が、どういう様相を呈しているか・・・100年前の論考だが。

 

平等、という時、「法のもとの」ということで、国家がついて回るのだろうか。

自由、という時、生得的なもので、国家は必ずしも必要ではないような・・・お釈迦さまの教団が、必要に応じて、納得づくて「法」を持ったように、内発的なもので十分なような気もします。

 

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雁字搦めにされて、束縛され搾取される。言葉も体制側のもので、弱い者の弁護の役にはたたない。そういうところで、反逆は革命という形で起こるしかない・・・

 

『大衆の反逆』に描かれているのは、現代と同じような、豊かさの中で、お坊ちゃんお嬢ちゃんとして育った、子供のまま大きくなってしまったような、伝統(貧困・因習・過重労働・・・)とは切れている人々の登場の物語のようである。

トクヴィルアメリカで見たものから予測していた世界の、一つの断面のような・・

 

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将棋の棋譜を並べて見る時、ボクなどは超初心者だから、その時々の広がりはよく分からない。しかし、解説を聞きながら同時進行の将棋を見ていると、その時々の、”よみ”がどういうモノか、伝わってくる。

ま。歴史書も、教科書のような、済んでしまった過去を上手い具合に書いてある本を読むと同時に、その時々の節目のポイントの、現場でのルポのようなものを読むことはどうしても必要な気がする。

ただ、読まなくてはならぬものが多すぎて(そして、知識が乏しくて分からないものが多すぎる)・・・体力との兼ね合いのような感じですね。

 

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掛け布団を出したり、毛布を出したり・・・今の時期、なかなか体調管理が難しい。

 

 

 

あれこれ考えます。

この前”岩井半次郎氏”のことに触れました

そしたら、今朝彼からメールを頂きました。嬉しいです。

 

実は、彼は今年日本に来る予定があると言っていたので、会えるのを楽しみにしていたのですが、新型コロナ騒ぎが始まってしまい・・・

どうしているかと心配はしていても、何もできないので・・・何もしなかった・・・

 

・・・・ある席で、彼から「トルデシジャス線」という言葉を聞いた。1494年、スペインとポルトガルが、教皇のお墨付きを得て、地球分割協定を結んだ。というようなことだったと記憶するが・・・それは初耳だった。

(ちなみに私は高校で世界史専攻だったのでこんな有名なことは知っていなければならないはずなのだが、そのころドストエフスキーに捕まってしまって、身動きできず、勉強どころではなかったのでした)(私は結構近視眼的に対象に密着する傾向があり、他の事が見えなくなる)

その他にもいろんなことを教えられて・・・あまりにも「ものしらず」なことを恥じた。

 

岩井氏は、大航海時代の、宣教師が日本にやってきて去ってゆくまでの間に絞って、研究しているらしい。ペルーに移住したのも、ペルーに残っている日本人関係の資料を探すためだったのかもしれない・・・そこで人はどういう生活をしていたのか、想像したりするのが楽しいらしい・・・歴史小説家とほぼ同じ楽しみであろうか。

 

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ボクは・・・手あたり次第・・・興味任せ、かもしれない。

「近代ヨーロッパの情熱と苦悩」を読んでいて、「プルードン」に興味を持ち、『プルードン・セレクション』(平凡社)を読み始めた。アナーキストらしい。・・・そのなかに、ルソーを貶しているところを見つけた。嬉しくなった。

ぼくは、ルソーは胡散臭いなあ、と思っていたのだが、ルソーを悪く書いた本に出合ったことがなかった・・・

それで、ホッブズやロックなどを読んでみて・・・民主主義とは何なのだろうかと思っていたのだが・・・近頃は、貴族主義の纏っている衣、のようなものではないかと感じている。

纏うには見栄えのする好い衣だ、だからルソーに飛びついたのだろう・・・

プルードンでこの辺の事が少しハッキリするかも知れないと、期待している。ただボクには少し内容が難しすぎるのだが・・・

 

・・・ボクにはあまり時間が残されていないように思う。今、若くしてなくなる人が多いようだが、ボクは、リタイアしてから、時間が惜しくなってきた・・・というより岩井氏に出合った頃から、かもしれない。未知の大海を目の前にしている、感じか。

最初は、「言葉」だったな。

・・・・・。知らないことばかり、だ。

 

『フランス2月革命の日々』

トクヴィル回想録 岩波文庫

 

何年前に読んだのか・・・久しぶりに手に取った。

 

シュティフターが、フランス2月革命の影響でドイツで起こった3月革命に、最初は期待するところがあったが、やがて自由の濫用とも思える事態に失望し・・・デモクラシィーからアリストクラシーへ(反動?)と向かった・・・尊敬するゲーテは、多分に貴族的だし。といえるのかどうか

 

トクヴィルはフランスの貴族の家柄で、貴族の中で育ったのだが、『アメリカのデモクラシイ』を読むと、歴史は自由の増大へと動いており、アリストクラシーへと後戻りすることはない、と考えていたようだ。

体に染みついたのは貴族趣味だが考え方は民主主義的だったような・・・だから

実際の政治家としても、その方向で動いていたようだが・・・

長い目で見ればそうであることも、現在に即したところでは予測不能の動きをするわけで・・・振り子が右へ左へ大きく振れるような中で翻弄され・・・ナポレオン三世の即位を見て「回想録」も中断されてしまったとか(公開するつもりで書いたものではないようなので中断ということもありだろう)。

 

シュティフターの物足りないところは、現在に即したところでは人は小舟のように翻弄される、はずなのに、そこに意味を見ないような・・・。

 

大航海時代以降の世界の動きというのは、興味はあるのだが、なかなか理解が及ばない。本を読んでも、歴史家の関心の方向が違うらしく、隔靴掻痒の憾が残る。

かなり現代に近いので、一人一人が固有名詞でとらえられそうなのだが、そのためには膨大な知識が要求される・・・ああ

 

そもそも、宗教書か科学書にしか興味のなかったボクが、暇に飽かせて歴史書を読むようになったのは、ペルーで出合った「岩井半次郎氏」の影響なのだが・・・

ボクは集中的に勉強する人間ではないので、虫食いのようにあっちを少し、こっちを少しと齧り散らしているだけなのだが・・・

 

世界の歴史22『近代ヨーロッパの情熱と苦悩』(中央公論社)を読み始めたが、ボクにはすこし難しすぎるようなので、この本より30年以上まえに書かれた世界の歴史16『ヨーロッパの栄光』(河出文庫)を注文した。これでもまだ難しすぎるかもしれないが。(この本は確か以前に図書館から借りて読んだことがあるのだが・・・)

 

概観するのは、分かりやすいところもあるが、ボクのような知識のないものには取りつく島がないようなところもある。しばらくたってから読むと少しだけ理解が進んでいるということもある。

 

・・・・・・・

 

アッチをつつきこっちを突いていても、それらの知識が頭の中で整理されればいいのだが、何か近頃は前の事を忘れてしまい・・・そのことも忘れていることが増えてきたようで・・・先日は、既に手元にある本を忘れていて、また注文してしまった。

・・・同じ本を2冊並べて見ていて、ちょっと考え込んでしまいましたね。

 

ザルのような頭になってきたかな???

(でも、しかたないよね。どうしようもないことだから)

 

 

 

『ヨーロッパ中世』一応読了ということで

内容豊富で、概観は止めた方がいいような・・・

『ヴィティコー』を読んで感じた疑問は全て氷解とまでは言えませんが、だいたい納得しました。シュティフターが、小説を書いているのではなく、歴史(物語)を書いていると言っているのも、まあ納得です。

 

例によって、(頭が弱いので)思いつくままに、ぶつぶつと、書きます。

 

ヨーロッパ中世は、フン族の大移動から始まる。そのフン族の大移動は、漢帝国の対匈奴戦争が引き起こしたようだ。玉突きというかドミノ倒しというか・・・

漢帝国匈奴の戦いは、鉄器文明が富の蓄積を可能にし、それを奪おうとして、始まったように思う。

 

ローマ帝国は、地中海周辺に展開されていたが、その北側の蛮族が次々移動して(させられて)新天地を求め、きらびやかな帝国に入っていく。それによって、(アリの一穴のように作用し)爛熟した帝国の崩壊が起こったようだ。

 

ヴィティコーが生きた12世紀は、国を持たない(持ったことのない)流浪集団が、国らしいものを作り上げてゆく時代のようだ。

そういう動きの始まりは、富の蓄積が可能になり、人口が増えたことにある。それが可能になったのは、鉄製の農機具が普及し、土を深く耕したり、森の木を切り倒し根を掘り起こしたり・・・土地の利用法が大きく改革されたことのようだ。

 

9世紀から11世紀の頃、中核都市の原形が作られて、つぎの13世紀になると、はっきり体裁が整ってくる。12世紀中期には、ケンブリッジ大学オクスフォード大学の中核になる、法律や神学の講義が盛んになっていたようだ。こういうところで育った人々が国家の形を整えてゆく・・・

 

ヴィティコーは、20歳のころまで修道院で生活し、ラテン語や一般教養、騎士のたしなみや武芸を教えられたようだが、彼が生きている間に、多分教育の中心は修道院から大学へ移っていく。

 

・・・激動の時代のようだ。・・・どうも、どの時代も激しく動いているような・・・「赤の女王」の支配する世界に生きていることをあらためて思う。

 

ぜんぜん書き足りないと思うが、これで終わります。

 

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一気に気温が下がり、朝は寒いぐらい。もう窓を開けたまま寝るのは出来ないかも。

日中も30℃止まりのような。

短い秋の予感

接心でした

8月はお休みにしたので2か月ぶり。最初の1時間ぐらいはじっとしていることに体がなじまず、坐りにくかった。暑さそのものには身体が慣れているようで・・・歩きたいとか横になりたいとかという思いはすぐに消えた。

 

本の事は、もう少しで読み終わるので、読み終わったら(たぶん明日)一言書こうと思っている。

 

そうすると、書きたいことはほとんどない・・・

強いて探してまで書くこともないだろう。

今日は、散歩も買い物もしていないし・・・

ま。寂滅為楽ということで。

 

 

 

 

少し面白くなってきました

今195ページ辺りを読んでいるのですが、

トマス・アクィナスについて、【1274年に彼が死ぬと弟子たちは先生の遺体から頭を切り離し、グツグツと煮込んでしまった。遺体を聖遺物として分け取りするためである。】

 

・・・・

 

インディ・ジョーンズに、よく聖遺物の話が出てきたが・・・

・・・インド旅行中に、あるお寺、お釈迦さまの舎利(たしか歯だった)を祭っているお寺で、合掌しながら頭の上にその仏舎利を翳してもらったことがあった。

 

この記述の少し前には、【聖者と目された人物で、五体完全のまま墓地で眠れる人は、まずいない・・・遺体はバラバラにされてしまう。・・・その遺体の一部を手に入れて「護符」のように肌身離さず身につけることによって、おそろしい神へのとりなしを頼もうとしたのである】

とある。

ヨハネの黙示録にでてくる「恐ろしい神」その好意を得たいという・・・

 

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亡くなった連れ合いの遺灰をペンダントにする人も居るらしいが・・・

 

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ボクは極めて抽象的なことを考えてきた人間なのだが、こういう具体的な行為のことを読むと、考えさせられます。

 

『ヨーロッパ中世』なかなか面白い本ですね。半分過ぎたあたりから俄然面白くなってきました。・・・今回も投げ出そうと何回か思いましたが・・・

多分最後まで行ける。