昨日、

(きわめて個人的なことを記します)

 

先日亡くなったⅠさん宅に伺った。仏壇に手を合わせるためである。

私は原則縁のあった誰の所にも行かない。余りにも多すぎるし・・・すべて次の住職に任せることにしたからである。

・・・親疎、どこで線を引いたらいいか・・・線は引けない。

それで、Ⅰさんの所にも行かなかったのだが・・・。

私は運転が下手で何度も事故を起こし(すべて自爆である。雪道でスリップし、がけから転落したり、逆光をまともに受けて目がくらみ、停車中のトラックに激突したり(運転手は別のところで作業中、しかしこんなところに車を止めるとは!)・・・)そのたびに、保険業務と中古車の手配を頼んだのであった。

・・・こういう個人的なことで世話になったのに、線香一本上げないというのはやはり・・・。

 

序でに、Kさんの所を訪ねた。どうも火曜日に将棋を指すのは難しそうなので。

というのも、風邪気味で。

ここ何日か朝は10℃を下回るようになっている、日中の散歩の時、かなり強い風が吹いていたりするので、ずいぶん用心していたのだが、喉をやられたようなのである。それで、断りに行った。

上がれと言われたのだが、断って、陽当たりのいいところで坐っておしゃべりをしていた。外で話しているので、声を落とすのだが、そうすると、その度に、聞き返されるので、だんだん声が大きくなったようである。目の前の道路を何人も通り過ぎる・・・ま。日曜だから、と思っていたが、どうやら、

懐かしい声を聞いたので顔を見に出てきたに違いない(日曜日だし、天気もいい)

と気づいたので、失礼することにした。

家に戻ってすぐ、電話が鳴った。

家によると思っていたのに帰ってしまわれたのですね、と。

予期せぬ電話だったので、しどろもどろになり、要領を得ない返事をして電話を切ったのだが・・・

三密を避けるために外で話をしていたので、できるだけ人には会いたくなかった。まして家の中には入りたくなかった。・・・さらに、対話ならまあ何とかなるが、3人以上の場では話についてゆくのは難しいので、そういうところに出たくない

・・・しかし、それを電話で言えるかどうか・・・とんちんかんではないだろうか。

(この場合は、用事があったので帰った、ぐらいが無難だったかも)

 

言葉に詰まってしまう。どういえばいいか、即答は難しく、考える間がたぶん長すぎることだろう。こういう自分の事情に触れないで、上手に答えられればいいのだが、家に引き籠っていると、そういうことが難しくなるようである。

 

"ことば”がすぐに出てこない。これは”わすれて”ということもあるが、”自分との会話では”うそ”が必要がないから、言っていい事と言ってはならないことを即座に分別し、その場に適切な答えを探す、ということが難しくなるのだろう。

Kさんも似たようなものであろう。彼が好きなはずの「ワタナベ名人」の名前も、すぐに出てこないこともある。

こういう悩みは、我々の年代に共通の悩みだとは思うが、共通と思っても、対応が楽になるものでもない。

 

・・・・・

 

昨夜も7時過ぎには床に入り・・・今朝はずいぶん調子がいい。あと2、3日で体調が戻るかもしれない。将棋はわたしが勝ったところで中断しているので、はやく再開しなければならないとは思うのだが。

・・・何が問題かといえば、集中力が持続しないのである。

 

 

『殉死』文春文庫

昨日、借りている本を返しに行ったついでに借りてきた。司馬遼太郎氏の書かれたものである。170ページばかりの薄い本である。

 

軍神と仰がれた乃木将軍。先日読んだ『明治大正見聞史』には、ジャーナリストの目で見た、殉死前後の事が書かれてあった。多分これが、一般大衆の感想に近かったのではないだろうかと思いながら、読んだ。そして、翌朝の新聞に大見出し四段抜きの「軍神」の記事を見て驚いたことを書かれている。第一線のジャーナリストが、目を通したすべての新聞に「軍神」を見て驚いた、と。当然上からの圧力があったと匂わせているのである。

新聞偏向はこの頃には明らかだった。皮肉を言うような感じで批判は可能だった・・・

 

確か、夏目漱石の書いたものにも乃木将軍に触れたものがあった。読んだのはずいぶん前(4、50年前)なので内容は覚えていないが、「軍神」の文字に違和感を持ったようなことが書かれていたような、かすかな記憶がある。

 

返すだけで、借りるつもりはなかったのだが、いつもの習慣で書棚を見て回っているうちに、つい借りてしまった。

 

まだ読む元気は出ない。しかし、薄い本だから、期限までには読めるのではないかと思っている。

 

 

 

今朝は温かい

布団を蹴飛ばしていましたね

早く目が覚めて、寝床の中で久しぶりに物思いに耽りました

”このままではマズいか?!”

 

どういうことかというと、ここのところ、読書の意欲がわかない。

秋だというのに。

なんとなく、ダラダラと時間が過ぎてゆく。

 

・・・いよいよボケの兆候が出てきたのか?

 

・・・・・

老化は、大きく分けると、肉体的と精神的となるだろう。

肉体的にはそうとう衰えてきている。精神的にも、記憶力や思考力はそうとう落ちている・・・ここにきて、意欲が落ちてきたということなのか

 

・・・・・

これを順当な変化と見るか。生活に問題があると見るか。

確かに、かぎりなく「ひきこもり」にちかい生活をしているのだが

・・・「刺激」が少なすぎるのだろうか。

 

・・・・こういう意欲の減退は一時的なことなのか・・・

気温と気圧の関係か・・・

何しろ昨日と10℃近くも違うのではないだろうか

 

・・・・昨日は出かけたが、その前2日ほどは散歩する気が起こらなかった。午前中は少し坐っていたが・・・午後はまともな読書もしなかった、ただゴロゴロ・・・

 

いよいよ老化が一歩前進でもいいけれど・・・

 

読んでいる本に飽きているのかな?

 

・・・・・

 

雨が降り出したようである。

 

・・・・・カラ元気でも出すべきかどうか・・・

 

 

 

 

 

 

昨日の朝は少し冷えた

風呂で、久しぶりに近所の同年代のおじさんと一緒になった。

夜寒くては眠れない。といっていた。

とすると、昨夜寝る前に入って、今朝起きぬけにこうして入っているのかもしれない。温泉宿に泊まった時など、私も経験があるが、日常的には考えたことも無かった。

 

読書もいいが、坐禅の好時節ではないだろうか、ということで、昨日は一日坐った、といっても、5時間ほどだ。そのご、夕方1時間ほど散歩をした。公園は沢山の子供連れでにぎわっていた。今までで最高の人出かも知れない。長い間閉じこもっていて、解放された感じだろうか

 

読書の秋・食欲の秋・行楽の秋など、さまさまなことが言われる。何をするにもいい時期なのだろう。

昨日坐っていて昔のことを思い出した。今頃から、12月の摂心にむけて、心身を集中していったのだった、と。

 

この前、お袈裟も衣もお寺に持って行った。終活の一段階である。・・・

・・・今年の摂心は最後になるかもしれない。・・・

膝が痛い・腰が痛い・首が痛い・歯が痛い・・・お尻が痛い・・・年々痛いところが増えてくる。

 

今日は午前中だけでも坐ろう。他の事をするのは勿体ない。

 

 

『ジパング伝説』

コロンブスを誘った黄金の島

中公新書 2000年

 

大航海時代を開いた一人はコロンブスであろう。とするならば、

まぼろしジパングは、時代を開くエネルギーの源。憧れ・垂涎の地であろう。

ページをパラパラとめくっていたところ、元寇ジパングの金を求めての侵攻だったようだ。人の欲しがるものを持っているということは、それだけで罪かも知れない。

黄金は人間という生き物を限りなく魅了する。お坊さんの着けるお袈裟でも金糸が使ってあると華やかに見える・・・。

猫には、豚には・・・

 

この本が面白いかどうか、読み始めて見ないと分からないが・・・あまり期待はしていない。というのも図書館から貸し出されて読まれた形跡がない。図書館の本にしてはちょっときれいすぎる。

 

・・・・・・・

 

携帯電話の事。この間いちど書きかけて消えてしまったので、ちょっとだけ。

私のスマホ、ほぼ8年近く使っていたものがダメになった。それで、安いスマホを買ったのだが、SIMカードのサイズが合わないので使えない。ドコモショップに行ったが、ドコモの扱っているスマホではないので、正常に使えるかどうか保証できない(ダメということ)。

ということで、

最初にこのSIMカードのついていたケータイのことを思い出した。

キッズケータイ

これは、ケータイ本体は無料で通信費だけ支払えばいいということで、(当時も今もお金に困っていたので)これを購入した。カードのサイズが違うので、その分2000円を払って、私のスマホに入れてもらって使っていたわけだ。「キッズケータイ」本体そのものは一度も使わないで大事にしまってある。

これを使うことにした。

子ども用だから、いろいろ制限がある。

まず登録した電話番号以外に掛けることは出来ない。

登録は暗証番号を入力して親が行う。

登録できるのは10件だけ。

・・・・

果たしてこれで用が足りるだろうか・・・

 

緊急通報の電話番号は別にある、110とか。だからそれは新たに登録する必要はない。

しかし、車に乗っているからには、事故サポートセンターの電話番号は登録しておく必要がある。車の修理工場も。そんなこんなで、最低必要な電話番号を登録すると、6件は埋まってしまう。あと4件。これは使う直前に登録し、使い終わったら削除することにすれば、何とか回せるのではないだろうか・・・

お金がかからないのなら多少の不便は忍んで・・・

 

・・・・実際に親が子供にこのケータイを持たせるのは、小学校低学年までであろうか。

とにかく親が子供の電話を完全に監視下に置けるのは、その年齢ぐらいまでであろう。

 

この「キッズケータイ」の特徴は、小さくて軽い。GPS機能と防犯ブザーが付いている。SIMロック解除できるということ。などであろうか。

 

黄金の話の後に、ちょっとしみったれた話をしましたね。ごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『明治大正見聞史』読み終わりました

解説の最後の方に、

著者はこの『見聞史』に強い愛着を持ち、戦後に「自費出版してでも出したい」と、あう人ごとに語り・・・しかし、実現しなかった。とある。昭和44年死去、87歳。

 

・・・実現したのは、死後10年近くたった1978年であった。

 

実名で出てくる人もあり、褒めているばかりではないので、そういうことになるのであろうか。・・・

「大震災後記」に書かれてある、流言飛語の記述など、どう読んでも、警察が先走って行動した記録のように読める。

これ一つだけでも、出版社が見つけにくかったのだろうか、などと考えてしまう。

 

・・・一貫して、なかなか冷めた眼で世相を観察しているように感じます。

 

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今日は部屋の片づけをした。もう使うことのない、お袈裟や衣、着物、足袋などを整理した。持って行って、後をとっている今の住職に上げようと思う。お袈裟はともかく、あとのものは要らないかもしれないが。・・・弟子になりたいというような者が現れた時に、当座の役には立つのではないかと思う。買いそろえるのは結構な出費になる。

 

ま。終活の一端である。

 

もうセミの声は聞こえない。数は少ないが、赤とんぼが地面に止まって羽を休めていて、近づく気配で飛び立つことがあった(陽が射していたので日向ぼっこかな)。みな、背中が赤い赤とんぼである。

近くに住んでいるスズメ、どうやら、一羽二羽減ってきているようで、近頃は三羽になってしまったようだ。・・・もう少し田んぼ近くに移動したものか。猫などに狙われたものか

 

 

 

 

『明治大正見聞史』など

今「関東大震災」に入るところである。

その前の「大正十年歳晩記」。年表を繰っても書いてないようなことばかり、書いてある。興味深い。現代と重なることが多い。

東京ではデパートで、エレベーターやエスカレーターに乗るのが楽しみという子供たちの事が書かれてある。女性が進出して、不倫や自由恋愛が活発になった話題もこの頃からのようだ。・・・・

その翌年か翌々年かに関東大震災である。

 

・・・・・・・

 

夜10時ごろ、車に用があって、公園に出かけた(4年ほど止めていた近くの駐車場が閉められてしまって、この間から公園の駐車場に止めている。日中は利用者は多いが夜も

数人が利用している。夜出かけたのは初めてである)天気のいい夜で、見上げたら、天の川がよく見えるではないか。

しばらく眺めていた。

ここには邪魔になる照明もなく、夜空を観察するにはなかなか好いところである。夜出かけて来るにはちょっと遠いのだが・・・

 

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