戦前は、統帥権の問題で、ずいぶん苦しんだとモノの本で読んだことがある。
戦後は、憲法9条で苦しんでいる。
良かれと思っていたことが、時間の移り変わりの中で、手かせ足かせに変わってしまう、ということであろうか。
そのたびに、実情に合わせて変えるべきなのか。
しかし、墨守が好きな国民性(ボクたちお坊さんは今でも中国から伝わってきた頃の服装をしている)を思う時、どうなんだろうと思う。
本当の所、変わり身の早いのがいいのか、変わらないのがいいのか。
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『一茶』藤沢周平(文春文庫)を読み始めた。
これは、かなりの密着取材という感じである。自分の体験がそうとう反映しているのかもしれない。
ボク自身、落ちこぼれてしまった人間だから、こういうのは、分かりやすい。
根無し草で、四国路を放浪していた時の心細さ・・・
いまでも、借り住まいで、似たような心細さとともに居るのだが・・・それはある意味、求めていたものであった。求めた時には濃密な人間関係に辟易していたのだが、実現して、求めていたものの中にいると、其処は、頼りなさと心細さの中、とも言える。
後悔しているわけではない。ただ、求めている時と、手に入った時と、落差は、どれも、同じようなものだろうと思うばかりだ。
禅語で「百不中ひゃくふちゅう」という言葉がある。百発百中の反対と言っていい。
生き生きと躍るような命は、そんなものであろう。
『一茶』を読むから、いままで思ってもみなかったような感慨も生まれる。これもまた、読書の功徳であろうか
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今日は天気もいい。ゆっくり散歩が出来そうである。