『ことばと文化』(岩波新書)

1973年5月初版。第一回目に読んだのは、この年の5月下旬。第二回目に読んだのは、2016年。

そして今回第三回目。

鈴木さんの本はどれも面白いが、この本は特に好い。すごく刺激的である。今回読んでも、やはりそう感じた。お勧めである。

 

『ことばと文化』p180に次の言葉がある。

 

【問題とはそこにあるものではなく、視点を設定した時はじめて出てくるものなのでる。】

 

確かにそうだね。

 

・・・50年で何回も手に取り、通読したのが3回。処々に赤線が引かれて、かなり痛んできたので、今回、新しく同じもの(古本)を注文した。

 

 

 

 

 

泰山木の白い花

今朝の事。散歩がてら買い物に出かけた。

ちょっと暑そうなのでいつもの道ではなく遊歩道の方に足を向けた。

曲がり角で立ち止まって見上げているおばあさん(と言ってもボクのおばあさんではなく、ボクと同じぐらいのおばあさん)がいる。ボクも通り過ぎる折に、何の気なしに、おばあさんの見上げている木を見上げた。

すると、こんな低い木に泰山木の花が咲いている。珍しいです。去年は咲いていませんでした。と。

ボクは、そうですね。もっと高いところに・・・

と言いかけると、少し離れたところに高い木があって、其処では高いところに花がついています。(今年は)こんな低いところに泰山木の花が咲いたのですね

ぼくは、そうですね、といって先を急ごうとした。

おばあさんは、引き留めてごめんなさい、というから

いや。珍しいものをありがとう、と言って立ち去った。

しばらく歩くと、おばあさんの言った通り、角に、泰山木の少し高い木があり、そこには沢山の花が咲いていた。

 

泰山木の花を見るのは何年ぶりだろうか。

 

最初に見たのは、40年前、神戸であった。お寺の庭で。

それ以前にも見たことはあるかもしれないが、名前を知らなかったので記憶には残っていない。(ボクは言葉で記憶するのであって映像で記憶するのではないようだ。言葉がカギとなり映像が呼び覚まされる)

その次が、鳥取のあるお寺で。

そして今回。

もしその木の下を通り過ぎることがあったとしても、あまり上を見上げることがないので、気づかずに通り過ぎていたことはあるかもしれない。

 

今日だって、おばあさんに声をかけてもらわなかったら、気づかずに通り過ぎていた可能性が高い。

 

お寺のようなところで、孤立して立っていると随分立派な木なのだが、ごみごみと込み合って植えてある木の一本として立っていると、全く目立たない。今の時期、色とりどりの花が咲き誇っているから、白は目立たないし。

人間も、似ているかもしれない。

 

(検索すると、タイサンボクの白い花の画像は沢山あるようなので写真は省略)

 

 

しそうのうろう

漢字では、歯槽膿漏。感じでは、死相濃老とでも書こうか。

 

昨日、歯医者に行った。かなりひどい歯槽膿漏だったようで、切開し膿を出し、電気メスで骨の表面を削った。麻酔をしていたのだが、そうとう痛かった。

同時に、歯磨きの指導を受けた。

・・・・歯磨きの話を聞いているうちに、これは何処かで聞いたことがあるなあ、と。

診察台に横たわっている間に、徐々に思い出した。

数年前にも、同じような指導を受けていたことを。

そして更に、その前にも、同じような指導を受けていたことを。

 

・・・なぜ、忘れてしまったのだろうか。

指導されたように歯磨きをしていれば、こういうことにはならなかっただろうに。

 

・・・・・

 

お酒が止められない人とか、タバコがやめられない人と、同じことなのかもしれない。

なにしろ、歯磨きは面倒くさいし、ちょっと痛い、血もでる。

ついつい楽な方に流れて、歯磨きも簡単に済ませて、忘れてしまったのである。

 

5分ぐらいかけて一本一本磨いてゆく。2,3日すると痛くなってくるのだが・・・というと、一週間ぐらいで血は出なくなります。と言われた。

ボクはどうやら一週間以内に脱落してしまったようである。そして完全に忘れてしまった・・・ほんとうに忘れてしまったのである。

 

診察台に坐ってしばらくして、最初に、歯槽膿漏のことを聞いたことがありますか、と言われたときに、歯槽膿漏という言葉は初めて聞いたような気がしたのである。

・・・だんだん、何度も丁寧に指導を受けていたことを思い出すには相当時間が掛かった・・・。

近くの記憶から薄れていくとは聞いていたが・・・。

 

もう手遅れかも知れない。しかし、ここで頑張らなければ、奥歯ガタガタになってしまう。

 

坂を転げ落ちるような感じだなあ。上ることは無理だろうと諦めているが・・・何とか平らなところに留まりたいのだが・・・。記憶力が衰えているのでは、ちょっと絶望的かも。

 

カラスは関係なかったようですね。

 

 

 

 

 

ドライブレコーダー

ボクは数年前、普通車から軽に乗り換えて間もなく、ドラレコを取り付けた。

軽でもターボエンジン車だったので、よく高速で追い越し車線を走らせた。そのうち土日などには煽られることが多いのが分かり、土日には高速に乗るのを控えるようになった、と同時に、万一の事故に備えて、ドラレコを付けたのである。

 

今年、高齢者講習を受けたのを機に、保険会社のドラレコを契約した。いざという時に(自分で連絡を出来ないようになってしまった時でも)見守ってくれているなら、安心だからである。

 

装着して分かったことだが、運転するたびに、その記録が残り、パソコンで自分のサイトをみれば「運転レポート」というのが出る。評価はS・A・B・C・Dの5段階。

ボクはこの一か月、評価Sはない。すべてA。さらに詳細というところでは、加速の安定性とか減速の安定性、ハンドル操作の安定性などなどの項目があり、それぞれ評価される。

・・・どういう基準なのかは分からないが、ボクは納得している。

たとえば、ハンドル操作はいつもAだが、加速の安定性や減速の安定性は、AはなくBである。ときどきそういう操作をしていることに気づいているので、納得である。ボクの場合、この項目でAを取るのは難しそうである。(父が今のボクと同じ年齢の頃、助手席に乗せてもらったことがあるが、急停止・急発進で、体が強張ったことを思い出す。まだそれほどではないと思いたいが、その傾向が出てきているということであろう)

 

・・・評価CやDが目に付くようになってきたら、免許返納を考える時かもしれないと考えている。

 

・・・バックで駐車するのが下手になった、と自覚したのが、2,3年前である。それから間もなく、衝突防止装置のついた車に替えたのであった。・・・

 

・・・・・・

 

ペルーに行ったとき、国際免許を持って行ったのだが、左ハンドルに慣れるのは難しそうで、結局一度も運転しなかった。ほとんど歩くかバスかだったので、それ以後、歩くのは苦にならない・・・といっても、今は散歩が少し辛いこともあるが、もう暫くは、歩いて買い物が出来るだろう。

それが難しくなってきたら、車に頼ることになるのだろうか・・・。

 

こういうことを、考えるようになってきた。

 

 

 

 

『暮らしがわかるアジア読本”トルコ”』(河出書房新社)

一度は行ってみたい中近東である。たまたまリサイクル市で手に入れた。

 

まだ数十ページしか読んでいないのだが、面白い記述に出合った。

そのまま写すのは面倒なので、掻い摘んで言えば次のようなことになろうか。

 

トルコの街を歩いている人々の顔立ちが余りにも多様なので、「典型的なトルコ人を示してくれないか」と尋ねたところ、「もしあえて言うならば、あなたですよ」と応えられたというのである。

数千年前、中央アジアに住んでいたひとびとが、西に向かって民族移動して、トルコに住むようになった、その間次々と混血を重ねて、今ではトルコ人本来の顔立ちが失われてしまった。それに対して、東に移動した人々は、日本に到達し、トルコ人本来の顔立ちを保っている、ということらしい。

 

今遺伝子解析で如何いうことが分かってきているのかは分からないが、面白い考え方である。胡人というのは、遠い異国の異人だと思っていたのだが・・・。とても、親しみを覚えるではないか。

 

また、次のようなことも書かれてあった

【日本語はトルコ人にとって最も人気のある外国語の一つである】

 

宮崎市定氏の『西アジア遊記』をまた読んでみたくなったが、ともかくも、まず、この『トルコ』を読み進もう。

 

・・・・・・・・

 

まだ歯茎は痛い。腫れている。歯医者嫌いなのだが、行かなければならないかもしれない。

 

 

カラスの呪い? まさか!

あの日、カラスの写真を撮って帰る途中から、体がだるくなり、すごく疲れを覚えた。

帰ってからも、調子が悪く、熱中症だろうか、体に熱がこもってきているような感じもする・・・

 

そんな感じで、夕方6時ごろには、何もする元気がなくなり、寝床をつくり、寝ることにした。

何もする元気が出ない、ただ坐っているのも苦しい、状態であった。

横になっても、寝返りをうったりして落ち着かなかったのだが、しばらくして眠ってしまったらしく、目覚めたのは夜中の12時頃であった。

 

左下の顎のあたりが痛く、触ってみると腫れて熱を帯びている・・・

体の熱のほうは下がり、疲れも取れたようである。怠さもない。

 

以前にも、疲れが溜まった後で、歯茎が痛むことはよくあった。ペルーでもそういうことが何回かあり、薬局(売店)の一番安い鎮痛剤を買った(医者にいく伝手がなかった)ことを思い出す。

 

今回は真夜中でもあり、手元には何もないので、

ネットで近くの歯医者を調べて、医院の開く9時まで、我慢することにした。

そのうち、相当疲れていたのか、また眠ってしまい、6時に目覚めた時には

痛みはかなり治まっていた。腫れはあいかわらず腫れてはいたが。

 

結局、離れに置いてある鎮痛剤を思い出し、それを飲んで、歯医者にはいかず仕舞いである。

 

・・・正直に言うと、寝る時に、朝目覚めることはないかもしれないと感じたほど、しんどかった。(狭心症になってから、夜寝ている間に何が起こるか、自信が持てなくなっている、のである。)

 

 

それにしても、あれは何であったのだろうか。

 

天辺で二羽のカラスがじっと見降ろしている。刺激しすぎたのかな

 

カラス何故鳴くの

カラスは(山に)かわいい七つの子があるからよ。

 

散歩の最後の頃に公園の中を通る。すると、カラスが大騒ぎをして飛び回る。

あるオジサンは、カラスに馬鹿にされているようで不愉快だ、と言っていたが

なあに。かわいい数羽の雛を守るための威嚇である。

 

しばらく辺りを歩き回って巣を探したが、見つからない。

枝に隠れて分からないのだ。巧妙である。

 

今日は雨のようだから無理だが、次に機会があれば、もう少し遠いところから、

親鳥のえさを運ぶところを、ひそかに観察してみよう。

 

それで、どうするということは何もないのだが。

 

6月初旬には巣立つはず。それからしばらくはこの辺りの上空を飛び回って、子どもの教育が始まる。生ごみのあるところとか・・・危険なおじさんとか。

 

この時期、車を運転していると、スズメが打つかってくることや、道路上に休んでいるその上を車で通りすぎてしまうというようなことが何回かあった。此処でもそんなことがあるのだろうか。交通量が多いからないとは思うが、しばらくは要注意である。

 

一羽は木の上から見張っている。もう一羽は飛び回って警戒している。

公園の様子