車検

田舎から都会に引っ越してきたせいだろうか・・・いろんな場面で

面倒くさいなあ。ついていけないよ。(まあホント。ボケてはいられない!)

という気持ちになる。

 

例えば車検。

 

鳥取に居た時は;

予約した日に車検を扱っている修理工場からヒトが来て、ボクの車に乗っていき、代わりに乗ってきた車を代車として置いてゆく。

翌日電話があり、ボクの車が戻ってきて、そこで掛かったお金を支払い、彼が代車に乗って帰る。

それだけのことであった。至極簡単。

 

ところが、此処では、車検の数日前に「車検見積もり」があり、「車検入庫」があり「納車」があり、「車検証受け取り」がある。・・・

その度に、数分から30分ほどの説明があり・・・様々な書類を渡され、サインを求められ・・・特典の説明がある・・・。

・・・・・・???

 

単に、都会は競争が激しいということなのだろうか??

 

そうそう。今回車検を取ることで分かったことがある。

鳥取では「軽」は車庫証明を必要としないが、ここでは「軽」でも「車庫証明」が必要である。

それで、ナンバープレートを変える手続きが面倒くさいので、ナンバープレートは変えずにそのまま付けておくことにした。それで問題はないということなので。

そういえば、この辺でも、宇都宮ナンバーとか群馬ナンバーの車が車庫に駐車しているのをよく見かける。

 

これが、鳥取でなければ、元の所の「車庫証明」を抹消する必要が出てくるのだろうが、その必要はないので幸いであった。面倒な手続きが一つでも省略できるのは有難い。

 

・・・・あれだけ時間をかけて説明をするというのは、あの人たちは何らかの「資格」を持っているということなのかもしれない。

 

ボクは今まで、そういうことは全く考えずに、知人を信頼して、丸投げで頼んでいたのだが、都会ではあまりに人が多いので、「資格」がモノをいうのかもしれない。

 

それにしても、若いうちはともかく、歳をとってくると、いちいち説明を受けても、直ぐに忘れてしまうので、疲れだけが残るような気がする。

 

いろんなサービスの特典を説明されたのだが・・・・

 

・・・・・・

 

代車で10㌔ほど走ったが、ボクの車より代車のほうがよく走る・・・

・・・車は乗り手に合わせて変化してゆく者なのかもしれないな。

 

 

 

 

歯医者の診察台の上で考えたこと

診察台が4台ある。だから、坐ってから自分の番が回ってくるまでには、かなり時間がある。正面に見える窓の外は、栗林であろうか、梅林であろうか。メガネを外してしまっているのでハッキリしない。

 

今日は前歯を抜くことになっている。

 

ふと。悟りについて考えた。今まで何度も考えていた題目である。

意識が一番大事ならば、意識よりも深いところがないならば、それを無視できるなら、無いと思い込んでいるならば、悟りは無い。と言い切れる。

そうだとすると、そう思い込んでしまえば、その人が、何らかの原因で深い深い恨み心を抱いている場合には、それから解放される機会はほとんど訪れないだろう。

意識で意識を書き換えることは、出来そうにもないから。恨みを持ったまま死ぬことになりそうである。

 

せっかく生まれてきて、憾み辛みの中で死んでゆくのは哀れである。とくに、そういう人は、死んでしまえば同じことだと考えている可能性が高いだろうから。

意識が全てであると考えているなら、すべてを受け入れて、お任せして、去ってゆくのが、一番分かりやすいのだが。そうでないなら、思いが残るだろうなあ、と。その思いも込みで死んでゆくのだから。残念である。

 

悟りという言葉で考えられている内容は、いろいろある。誰も見たことがないので、あれがそうなのだろう、これがそうなのだろうと、推測して考えるからであろうか。

 

ボクが悟りというのは、その中の一つ。華厳経の最初の10数ページに書かれてあることです。意識が生まれだす現場に立ち会う、ということである。

それ以前には遡れない、というのも、それより前では意識が働きだすことが出来ないから。

もしも、この現場に、恨みを持つ山上容疑者のような者が立ち会ったとして、かれの恨み心が解けることがあるだろうか。

 

ボクは、本当に、立ち会うことがあるならば、雪解けは起こる、と信じているのだが、ただ、ヒトは見たものを今の先入見で解釈してしまうのが一般だから、見て見ない、ということもありうる、と思うのである。

 

見たものを見たように見るのは、簡単なようで簡単ではない。

 

まあ。そういう場合、肩の力が抜けて、呆然とした様子をしていることが多いので、そとから何とか推測は出来るだろうが。

 

・・・・・・・

 

今から歯を抜かれる。そこから出来るだけ遠くに行きたかったのかも知れない。

抜歯を終え、歯医者から外に出て、すごく肩が凝っていることに気づいた。よっぽど緊張していたのである。

 

 

 

 

 

 

 

お薬師さん

この度。念願の「台座」と「光背」が完成して送られてきました。

 

以前に書きましたように、薬師如来坐像そのものは、もう20年以上前に彫られたものです。

 

ずっとその本体だけを祭ってきたのでしたが、まもなく私の手を離れて、誰かの守り本尊になるならば、今のうちに、完成した姿にしておきたい。

ということで、Mさんに頼んで彫ってもらいました。

 

色が少し違っているのはその為です。

彩色しなければ完成ではない、という考え方もあるようですが、

私はそれは考えてはいない。

 

尚、材は木曽ヒノキです。

 

 

・・・・・・

 

鼻の怪我がこの程度で済んだのは、お蔭を頂いているのかも知れません。

 

・・・・・・

 

Mさんに何かお礼をしようと考えていたのでしたが、断られてしまいました。

そういうことはしないでほしい、と。

有難く、甘えさせてもらうことにしました。

 

・・・・・・・

 

今日数日ぶりに風呂に入った。顔の、鼻の周りも久しぶりに洗い流した。

サッパリしました。

 

 

 

 

躓いて転んで鼻を怪我してしまった

その時丁度両手に物を持っていて、それを手放すことも出来ずに、一瞬迷って、手をつくのが遅れたのである。

 

それでも着地は、手の方が少し早かったと思うのだが、体を支えきれずに、鼻を打ち付けてしまったのである。

 

血が相当出た。最初は鼻血かなと思ったのだが、そうではなく、鼻梁の皮が捲れて、血が流れだしたのであった。

 

姉に頼んで、イソジン軟膏を塗りたくって、ばんそうこうを張ってもらった。

しかし、血が止まらないので、ソファーにもたれて、ばんそうこうの上からティッシュで押さえてた。

 

痛みはあまりないので、骨は大丈夫だろうと思ったが、血がそうとう流れたので、医者に行くことにした。

 

このとき、まだ8時を過ぎたばかりだったので、頃合いを見て、歩いて、近くのクリニックに出かけた。

歩いているうちに、また血が流れだしたようで、医者についた時には、マスクまで赤くなっている状態であった。

看護士に事情を説明し、彼女が医者の所に説明に行く(血まみれであったので緊急を要すると思ったものか)。彼が戻って言うには、ここより耳鼻科に行った方が良い、と。

仕方ない。耳鼻科の場所を教えてもらい(かなり遠いので)、一旦家に戻った。

 

家に戻ったころには、痛みはなく、相当歩いたので面倒くさくなっていて、耳鼻科の医者に行くのは止めようと思いはじめ、

 

姉にイソジンばんそうこうを張り替えてもらって、遅い朝ご飯を頂いた。

しばらくして、鏡をみるに、ばんそうこうの赤いシミがどんどん大きくなっているようだ。

もう怪我をして2時間以上になるが、まだこういうことでは、やはり、いちど見てもらった方が良いと考え直し、電話をして出かけることにした。

 

触ってみて腫れても居ないし、痛みもそれほどないようなので、骨には異状はないでしょう、ということで、怪我の普通の治療をしてもらって、帰ってきた。

 

・・・・・・

 

バランスを崩して倒れてしまった。・・・このことに軽いショックを受けた。

 

・・・部屋の中で、バランスを崩して倒れ、プラスチックケースを壊したことはあったが・・・あの時はななめ後ろ向きであった。今回は、前向きである。ほんのわずかに躓いただけでバランスを崩して、倒れてしまうとは!!それも顔からとは!!

 

何時何が起こっても不思議はないかもしれないな。

 

ここ2日ほどセミが身を潜めていたが、今日はまた鳴きだした。

ここ数日夜はコオロギの鳴き声が徐々に大きくなってきている。

もうすぐ9月である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

引き続き 歯 の話

昨日あたりから歯の存在を忘れている。有難い。

この前切開したところが癒えて来ているのである。

・・・・・

前歯はグラグラになっていて、近いうちに抜かなければならないだろう。

 

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ボクは入歯を入れる方を選んでしまったが、以前会った或るおじさんは入歯を入れない方を選んだ・・・・

その人の言い分に、味が変わってしまって美味しくない

そのものを美味しく頂くには、入れ歯はダメだ、と言っていたから

その方も一度は入歯を入れていたのだろう。

 

そのおじさんは私たちと食事をするとき、小さなまな板と包丁(これは果物ナイフほどの大きさのものだった)を出して、それで自ら細かく刻んで、口に運んでいた。

見たところ歯は一本も残っていないようだった。

 

当然食べるのは遅くて、皆の半分も食べられないのだが、実に楽しそうで、とくに若い人と一緒に頂くのが望みだったようで

この日のご馳走は全てこのおじさんのご供養であった。

 

確か大きな寒ブリ一匹とお酒などを持参であった。

 

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確かに。今の自分の入れ歯が何に一番似ているかと言えば、ボクシングのマウスピースである。

 

味もそうだが・・・薬を飲むときに、すこし難儀をする。あと数年後には、つけたままでは薬は飲めないのではないかと思う。

 

好い事は、何かを口に入れるたびに外して洗浄し歯を磨かなければならないので、その煩わしさから、間食をしなくなったことか。

よく本を読みながらスナック菓子を食べていたのだが、それが止んだ。

 

喋るとき舌がちょっと引っかかって発音が乱れるので、ついつい黙りがちになる。もともとあまりしゃべらない方なのだが、ますます口が重くなってきた。

 

・・・・・・

 

痛くて、読書はすすまなかったのだが、痛みが消えて、また本を手に取るようになっている。

今読んでいる本は何冊もあるのだが、

吾輩は猫である』(新潮文庫

柳田国男』(ちくま日本文学)

フーコー入門』(ちくま新書)など。

 

 

 

 

 

無事これ貴人

何もない。存在も忘れている。これこそ、貴いなあ

 

この言葉で思い出すのは、3歳ごろのことであろうか。

何もかにもが珍しくて、愉しくてしょうがない。

 

今。心臓がいつも意識の中にある。なくなりつつあるのだが、その歯の存在を忘れることは不可能である。

あれもこれも、意識される。忘れることはかなり難しい。

 

・・・・。子どもから大人になり、五感が覚醒し、喜怒哀楽に支配された。そのころは、どちらかと言うと、喜楽に思いを寄せていた。

今は、もう、喜楽には手が届かないが、届いたとしても、無事に憧れる。

 

存在を忘れていられるというのが

一番の幸いではないだろうか。

 

・・・・・・・

 

今朝はお粥に卵豆腐。昼は、すこし調子がいいので蕎麦を茹でて見たのだが、食べられなくて、半分以上を捨ててしまった。夕ご飯は菓子パン少しとプッチンプリン

ちょっとカロリー不足気味のようだ。力が入らない。

 

本当は食べたくない(食欲がないわけではない。口を動かしたくないのである。)のだが、感染を防ぐ薬を3日ほど毎食後に飲まなくてはならないので、少しだけでも食べるようにしている。

 

 

 

 

我慢できず歯医者に行った。

かなり上手な、忙しい、混んでいる歯医者なので、出来れば行きたくない。ボクみたいなヒマ人が何度もお邪魔をして、待っている人に申し訳ないからである。しかし、痛みには勝てない。

 

朝は、ご飯を白湯でバラシて、スプーンで口に入れ、噛まずにそのまま飲み込む。・・・ただそれだけのことでも、痛い。まず、うまく口が開けられない。開けた口を閉じるだけで痛い。力が入らないのでよだれが垂れてしまう。

 

歯磨きは、必死の覚悟である。

 

その後、痛みを我慢。今日は入歯は止めた。はめる時にそうとう痛いのである。

 

昼は、赤飯に牛乳をかけただけ。丸飲み。

歯磨きの後、痛くて我慢が難しく、最後の鎮痛剤を飲む。

 

そのあと、考えた。明日からどうする???

我慢できるか???

我慢すると、口が開かなくなってしまうのではないか。というのも、今でも顔面の半分が強張って、笑顔を作れない。痛いのである。

 

歯医者に行くことにした。

 

そうとう待たされたが、見てもらえた。

痛いので、歯を抜いてください、とお願いしたが、どういう理由か聞き取れなかった(この前抜歯したばかりだからかもしれない)が、それは難しい。といって、改めてレントゲン写真を撮り、状態をよく見てから、

歯茎を切開して、膿を出し、洗浄してくれた。

麻酔をして作業をしてくれたのだが、まあ、痛いのなんの。確かに5分の1ぐらいに痛みは軽減されているのだろうが、それでも、そうとう痛かった。この痛みは、神経に触れられるような、するどい痛みである。

 

これで亦ロキソニン錠を2錠貰ったし、心臓を患う前に飲んでいた鎮痛剤も、飲んで大丈夫と言われたので(もう1年半ほど飲んでいないので使用期限を過ぎているが)

少し、安心。痛みに苦しめられるようなことになっても、次回の予約日までは持ちそうである。

 

改めて、オレは拷問には耐えられない。と思う。

そういう目に遭わないで済みそうなのでホッとしている。

 

 

帰りがけに、お粥を5袋ばかり買って帰った。