『阿含経典』を見ていると、維摩経などが出てくるのがよく分かる。
編集された経典に、生きて働いているお釈迦さまの代わりは無理だったということだ。
後の『碧巌録』の「酒粕食らいの奴」という言葉も、思い出されてくる。
話は突然変わるのだが;
今日はすごく元気になった。お腹の痛いのは跡形もなく消えてしまい、もう、痛い思いをしたことは、何処にも残っていない。身体の疲れ・脱力感も、今はない。
すべてケロッと忘れてしまう。だから、医者などに行って、どういう感じでしたか、とか 何処が痛かったのですか、などと聞かれても、今その感じが全く消えてしまっていると、なんとも曖昧にしか答えられない。
頭で執着しない限り、無我なんだなあ、と思うところである。ま。単に忘れっぽいのだともいえる。
今日は彼岸の中日。「墓参り」を予定している。墓参りというと、ペルーのミミさんを思い出す。ミミさんは「此処では元日に墓参りする」と言っていたな。