今朝は15度ぐらい。読書の秋到来。
久しぶりに仏教関係の本を手に取っている:
「輪廻はその始めもなきものであって、生きとし生けるものが、無知におおわれ、貪欲に縛せられて、流転し、輪廻したるその始源は知ることをえない。
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汝らは、ながいながい歳月にわたって、母の死に逢ったのである。息子の死に逢ったのである。娘の死に逢ったのである。眷属の死に逢ってきたのである。財宝を失う悲しみに逢ってきたのである。病気の苦しみに逢ってきたのである。
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それは、何故であろうか。この輪廻はその始めも知られざるものであって、生きとし生けるものが、無知におおわれ、貪欲に縛せられて、流転し、輪廻したるその始源は知ることをえないのである。
だから、この世におけるもろもろの営みは厭うがよく、厭い離れるがよく、したがって、そこより解脱するがよいというのである。」
これは、「阿含経典Ⅰ」P338の要約。「比丘たちよ」と語りかけているから出家者に向かっての言葉である。
最後の「だから」以後の言葉は、お弟子たちには何の疑問もなかったのだろう。つまり、そう感じていたところに説明を与えてもらった、ということではないか。