「では、悲しみの根とはなんであろうか。
心に喜び、身を燃やして、あれやこれやに、わっとばかりに殺到する渇愛がそれであって、それがさらに迷いの生をもたらすのである。すなわち、性欲のたかまり、生存欲のたかまり、自己優越の欲望のたかまりがそれである。修行者たちよ、それらを名づけて悲しみの根というのである。」
漢訳仏典では、喜貪倶行、心に喜ぶことと身を燃やす(むさぼる)ことは一緒だ、と訳されているという。「阿含経典Ⅰ」p434
私たちが大好きなことが、悲しみの根っこだ。そう言われればそうだなあ
・・・・しかし、普通はそれを厭離しようとは思わない。
心の底から、悩み、苦しみ、悲しむようなことになった時には、思い出したい言葉だ。
転倒想滅すれば、という言葉が心に浮かぶ。逆立ちした思いが消えれば・・・・というのだが、”逆立ちしているのはどっちだ?!”とも思う。
・・・医者の止められても、隠れてたばこを吸う・・・・・