南泉 猫を斬る

これは、『碧巌録』100話の中では有名な方である。10話選べば必ずその中に入るぐらい、と思う。

和尚さんが猫を斬る、今だったらマスコミが放っておかない。南泉和尚さんは、坊さんを辞めるまで追い込まれそうである。当時も、口コミが駆け巡ったことでしょう。

道元禅師の『隋聞記』のなかにも取り上げられています。

 

【或る時、修行者が二派に分かれて猫の事で揉めていた。そこを通りかかった和尚が、猫を捕まえて、修行者に向かい「何か言えれば許す、何も言えなければこいつを斬る」と言った。誰も何も言えなかったので、猫を斬り捨てた。】

 

だいたいこういう場面の設定です。これについて、いろんなことが言われている。

まず、猫の事で揉めていたというが、どういうことで揉めていたのか。

この南泉和尚の弟子に趙州というのが居ますが、この趙州和尚と弟子との問答で、「犬っころにも仏性がありますか」というのがあります。これも有名な話で、もちろん100話の中にあります。

ですから、この時代には、異類(人間以外)の事が議論されていたのかもしれません。

中国古典など見ますと、荘子以外には人間だけしか登場しないようなところが感じられます。あの世も未来も、分からないことには触れない・・・・

ところがインドの思想には輪廻という考え方があり、それは仏教の中にも流れ込んでいる。だから、当時は、牛に生まれ変わるとか、犬に仏性があるか、とか、中国の伝統思想では問題にならなかったことが話題になっていた可能性がある。まだまだ新奇な話題であったと思います。

猫の話題というのはそういうことだったのか。

当時の修行道場には沢山の修行者が居ましたから、米蔵もあった、するとネズミもいる、だから、猫もうろうろしていたのでしょう。

これはオレの飼い猫だ、いや、俺のものだ、というような争いだったとは思えません。

それでは、南泉の弟子としてはレベルが低すぎるような気がします。

やはり、最新の流行思想(仏教に絡んだ)が関心の的だったのでしょう。

 

もう一つ、和尚が「言えれば斬らない、言えなかったら斬る」といって、言えなかったから斬ったというふうに読めるが、言えたら斬らなかったのか。・・・・

当時「維摩の一黙」などは良く知られていたはずだから、言わないというのもひとつの表現だということは分かっていたはずだ。

だから、言っても言わなくても、斬るつもりだったのだろう。つまり、南泉は最初から斬るつもりだったのだ。何故?

分かっているとか、分かるとかというのがなかなか曲者だから?

流行思想などに現を抜かしている暇はないはずだというのだろうか。・・・

 

道元禅師は、「一刀一断」と言っていたと思います。一刀両断ではなく、一刀一断。

それに対して、当時の懷奘さん(道元の一番弟子、隋聞記の作者)は、南泉和尚の斬猫はやはり罪であるということに拘っています。

一刀両断なら分かりやすいのですが、一刀一断というのは・・・・・・問題そのものを斬り捨てるという感じでしょうか。

 

ちょっと珍しい人が訪ねてきて話していたら、書きたいことが(頭の中から)飛んでしまいました。少し、長くなっていたところでもありますので、今日はここまでとします。続きは次回に。