昨日のつづき

珍しい人が訪ねてきたと書きました。仮にNさんと書きます。

Nさんとは知り合って4年目です。つまりここに来てすぐに顔見知りになり、家も近くなので、出合った時には挨拶もします。しかし、立ち話以上の事はありませんでした。今回、ここ薬師堂の中に入り、一所にお茶を飲み雑談をした。

どうやら、私が文化祭に写真を出すことを聞きつけてきたようです。Nさんは長い間写真を趣味にしていたようですが、近頃は見るだけになってしまったようです。多分写真は時間とお金がかかりすぎるからではないかと、私は思います。

いろんな話を聞きましたが、写真展に出される写真はどれも本人にはお気に入りなのだろうけれども、人が見て、記憶にのこる、あるいはもう一度見たいと思う写真は多くない。そういうのには、それなりの工夫がある。スナップ写真だったら、タイトルをどうつけるか・・・短い文句で。例えばこの間、写真展を見に行ったのだが、誰の何回目の写真展とかではなく「まぜごはん」と書いてあった。それで、どんな作品が出ているのだろうと興味が湧いた。などなど。

 

なるほどなあ。『碧巌録』とは、どういう書物だろうか。師と弟子の火花を散らすような問答が中心である。師はしばしば見苦しいまでに親切である。弟子にはなかなか伝わらない。刻苦精励して、その師の親切に気づいたときに、弟子は大事なものを手にする・・・・親子と似ているかもしれない。現実には圧倒的にすれ違いが多いだろう

 

この、猫を斬る話も、そういうところから見るべきではないか。ただ南泉は「すべって」しまった。そして不殺生戒まで犯してしまった。子を思って殺人を犯してしまうというサスペンスドラマのようではないか。

勿論確信犯なのだと思うが・・・それに趙州は気づいている。

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すきをみて刀を取り上げる、だれも考えなかったようだが、ドラマではよくある。