すこし補足説明

誰も見ないようなブログなので、補足はいらないようなものだが、自分のメモのつもりで。

 

伝統的な『碧巌録』の提唱というのは、印可されて師家だけに許されていました。そういう師家の提唱録を見てみると、南泉の働きは、生とか死とか二つに分かれる以前の、葛藤を一刀一断する力強いものである。趙州の働きは、(死んだ猫が)生きて働いているかとも見える姿である。などなど。

 

修行者の迷いを根源的に断ち切る働きとして、絶賛されております。

 

ただ、悲しいかな、現代には通用しないかもしれません。

98話に、天平和尚両錯というのがあります。これは分量的には一番長い話の一つですが、ここには、理屈倒れになった禅天魔の徘徊する時代を想像させるものがあります。

 

真似は本物だ、という考え方があります。泥棒の真似をすれば、それは偽物ではなく、本物の泥棒だ、と。その伝で行けば、理屈倒れの禅坊主も立派な禅僧なわけですが・・・

 

全ては、兵どもが夢の跡・・・