どういう文章を添えるか、実際に書いてみると、いろいろ迷いが生じて、難しい。
旅行ガイドブックは、観光対象についての最低の情報を伝達しようとするものだろう。だから、そこに書いてあることは、だいたい、見る人に知ってもらいたい、最低限の情報のようにも思える。
しかし、それだけでは、この〈わたし〉が抜けてしまうような・・・
私を前面に出したいとは思わない。(個人が前面に出た)展覧会に行くととても疲れるのだが、この、地域の文化祭というのは、それとは全く違い「親睦」を図るようなところがあり、ま、ケチをつけたり、出品者を・・・・筆に任せているとどんどんあらぬ方向に進んでしまう・・・・
私の《思い》は、そういう方向には行かない。筆は、思いとは別に、勝手に動きやすい。
ブダガヤは、いわば仏教の原点である。その仏教は、一時インドで大勢力となったが、イスラムが入ってきたら、消えてしまった。ヒンズーもジャイナ教も、消えなかったのだが、仏教だけは消えてしまった。
ただ、お釈迦さまはヒンズーの聖者の一人として、いまでもインドで崇められている。
しかし、仏教は消えてしまった。(ここで聖書の言葉を思い出したりする)
聖地ブダガヤを訪れるのは、仏教徒として、世界遺産として、あるいは、ヒンズー教徒として・・・・
私は、何者として何しに行ったのだろうか
『碧巌録』を読んでいて、禅語録の中のいくつかの言葉を思い出す。過激なものが多い。「この酒粕食らい奴」とか「糞掻きべらほどの奴」とか。
翻訳された外国の文献から学ぼうとする人々に飽き足らない、実践派といえる。シナにはそういう人が多かったのかもしれない。
仏教は、アショカ王を得ることで飛躍的に躍進した。しかし、それは、換骨奪胎ともいえる過激なものだった。維摩経などを見るとそういう気がする。そこでは、お釈迦さまとその弟子はわき役である。大国主の命を、ちょっと思い出す。
仏教を一所懸命に学んでいる人々の中から、維摩経に共鳴するような人々が、育ってきた、のかもしれない。
それにしても、滅びてしまうとは・・・確かにお釈迦さまには、寂滅為楽、というところがある。必然なのかもしれない・・・・・
私は、お釈迦さまのお墓ではなく、仏教の〈出発点〉に出かけたのであった。個人と歴史と深く結びついているのだが。
・・・・仏教にも歴史があり、塔にも、仏像にも、それぞれの歴史があり、姿を現せばとうぜん互いに交錯する。
一所懸命坐禅に打ち込んでいた時には起こらなかった、妄想ともいうべき《思い》がつぎつぎ湧きおこるのであった。
《わたしの世界》これが影響しあい、毘盧遮那法界が展開する。それが、毘盧遮那仏の手のひらに乗る。それが・・・入れ子のような構造。
手が止まり、準備は遅々として進まないのであった。