今日は

午前中会場準備、ごご作品搬入

午前中の会場準備は失礼することにしている。手伝いたいのは山々なのだが、迷惑をかけることを恐れるのである。

ま、しかたない。自分の事で精いっぱいということに、気持ちも慣れないと。

 

将棋のこと。この間の雑談で、Kさん(将棋の相手)は、医者に、好きな将棋をやりなさい、と言われていたと打ち明けた。

・・・・年寄りは多いのだが、将棋をする人は少ない。だから、相手をしてくれる人が居ない。

結局私と指さなくなってから、この一年、誰とも指さなかったようだ。ただ、毎日のようにTVで将棋番組を見ていたようである。

私は、ほぼ一年の空白があるので、駒を落とした方がいいぐらいの力の差が出来ている。相手のある趣味は、なかなか面倒だ。

 

たしか、父は囲碁をやっていたのだが、会館に行くのは短期間で止めてしまったようだ。子供には親切なのかもしれないが、どうも年寄りには教えてくれる気持ちが乏しいらしく、歴然とした差のある相手なのに、勝って小ばかにしたような様子をするらしく(負けるとそういう風に見えるのは確かだろう)後味の悪い思いをして帰ることが多かったようである。

勝負事にはそういうところがあるのかもしれない。だから、負けることが分かっている相手とは指したくなくなり、強くなると自然に近所では相手がいなくなり・・・・医者には勧められても指しようがない。・・・・それに歳をとってくると、感情が顔に出やすくなるから・・・一般的にはいいのかどうか・・・・

 

いま、小さな子供には「将棋ブーム」が起こっているらしい。

スマホのゲームと連動しているのだろうが・・・・

 

ボクの場合は、一週間に一度ぐらい、人と会って話す機会を作る必要があるような気がしての事である。Kさんは、結構よく喋るし、ボクに将棋を教えてくれた人だから、競争心はほどほどで、二人とも負けるのは嫌いなのだが、感情が露骨に現れることは少ない。

この間は「一局目惜敗」悔しいのでもう一局指そうと誘ったのだが、用事があるということで断られてしまった。実際、予定があるようであった。

私の方は久しぶりに再開したので、続けて三局ぐらい指したい気がしないではないが、ま、長く関係を続けるためには、熱くなりすぎないことだと反省した。

 

人にはどうも、相手を下に見るのが好きというか、そういう傾向があるのではないか。対等の関係というのは、お互い持ち上げたり貶したりすることの平均値(仮の姿)のようなものなのかもしれない。