坐禅

ひとそれぞれ。この世に生を享けて、よかったなあと思えることは、それこそ人の数ほどあるのだろうと思う。

わたしは、坐禅に出会えてよかったなあ、と思っている。

若い時には仁王禅、仁王様のように、歯を食いしばって頑張る坐禅をしていたが

今は、淡々と坐っている。

 

理屈を言えばいろいろ言えそうだが、あまり気が乗らない。

いちばん似ているのは、女の人が、毎日鏡台の前に坐る、あれかな。

鏡に映った自分と向き合う。

 

今は、朝一時間(ときどき30分)、夕方30分坐るのを日課にしているが、

この間入院中も、何か忘れているような気がして、ベッドの上で毛布をたたんでお尻に敷き、ちょっと坐った。10日のうち、4回ぐらいだろうか。坐ったうちには入らないようなものだが、それでも、ま。ないよりましだったかも。

 

3度の食事をし、決まった時に寝る。今ではそれとほとんど同じようなものである。

 

前にも書いたことがあるが、私のようないい加減な人間が、警察の厄介にもならず、ここまで来れたというのは、坐禅に出会ったからではないかと思っている。私に限らず、たぶん人間は、置かれた環境によって、どんなことでもしかねない。何の道具も無しに自分の逆上せを醒ます方法を会得したというのは、かけがえのない事であった。