昨日病院で、主治医から、治療は終了したと言われて、ほっと一息吐いたのであった。
夏から様子がおかしかったのも、年を越すことなく、年内に治った。
しかし、
これも老化の一環として起こったことだろうから、
また、近いうちに何かが起こるのだろうとは思っている。
それが何かは今は分からないが。
とにかく、しばらくは体を忘れていられる、有難いことだ。
『手掘り日本史』を読んでいて、久しぶりに『空気の研究』の山本七平さんを思い出した。空気で物事が決められてゆくようなあり様は、山本氏の目からは否定的に見られていたのだが、司馬さんの目には、ニュートラル、文化の違いとして見られているように思う。そういう意味では、司馬さんの目は温かい、のかもしれない。
自国の言葉では新しい科学など学ぶことも出来ず、ヨーロッパの言語を必要としている国は、やがて自分たちの祖先のことも忘れてしまうかもしれない。理解できなくなって。
日本人も、半ばそうなりつつある・・・・ついこの間、江戸時代の人々が大切にしていたものが、もうすでにボクたちの世代でも、鬱陶しいものと感じられてしまう・・・
・・・・ペルー、リマの日系人の祭りで、ペルーで日本文化として大切にされているものは、大半が、日本が過去に置いてきたもの(捨ててきた)のように感じたことを思い出した。
それでも、そういうところが、日本人らしいところなのだろう。軽薄と言って済むことではなく、水のように、拘らないところが。