また一つ歳をとる

この時の、《とる》とはどんなことを言うのだろうか

「とる」というのは、普通には「手に入れる」ということだから、自分のモノにするという感じだろうか。非常に肯定的な・・・しかし、要らないものが付いてきた、という感じがする。否定的な・・・

 

もともと「とる」には、肯定も否定もないのだろう。しかし、自分の事となると、必ず色を付けて見る・・・どうもそういうことだろう。

 

人生も、スタートしたころは、あまり色を付けていなかったのが、だんだん色気が出てきて、「自分の人生」素晴らしいものにしたい、ということになってくる。

《夢を見る》どうせなら、いい夢を見たいのだ。

本当は、人生というのも夢のようなものだから、良いも悪いもないのだろうけれど。それでも、「自分」の人生は好いものであってほしい。

 

生存競争の激しい生き物の世界では、人間の場合には、こういう形で現れるのかもしれない。よりよい人生を求める、その意欲が「自分に」肯定的にみられることが大いなる価値かもしれない・・・「自分??」「何、それ」というのでは、周りに心配ばかりかけてしまう。

 

ま。片足を棺桶に入れてしまった(まもなく両足とも)立場から見れば、悪夢の方が多かったかもしれないが、面白かったよ。

ボクの場合、時流のなかで、なんとか溺れないように、浮いているだけだったような気がする。(他から見ればそうかもしれないが、自分では精いっぱい泳いでいたつもりなのだが)泳ぎが下手だから、藻掻いていて、随分水を飲んでしまったな。

 

今年は、夏以降、あっと言う間に過ぎてしまったような気がする。

来年はどういう年になるのだろうか。

 

図書館から借りた本に、付箋を貼って、読み終わった時に、もう一度その付箋をはがしながら、読んだ内容をざっと振り返る。そういうことをしていたのだが、読み終わらなかったので、そのまま持って行って、延長をお願いしたら、「付箋は貼らないでください」と言われてしまった。どうやら、付箋を貼ると、僅かにノリが残り、長い間に変色するらしい。

それで、以前のように、栞にページを書く、ことにしたのだが、ちょっと面倒だ。忘れてしまう・・・

それで、『種の起原』は、古本を買うことにした。好きなだけ下線が引けるし、付箋も貼れる。新しい年は引き続きこの読書から始まる。

とにかく、面白いのである。線を引きたくなる。