「成人式」で思い出すこと

ボクは、毎日のように思うことがある。「今日死ぬかもしれないよ」

つまり、今こんなことをしていて、いいか?

ということなのである。

そして、たいていの場合、いいよ! と。

どっちへどう転んでも(生きるも死ぬも)、お任せだから。

 

明日が「成人式」の日である。

ボクが成人式に出たのは、もう・・・50年前になるわけだが

あの頃、よく「死ぬこと」を考えていたな。積極的に「死ぬ」ことを。

積極的に死ぬというのは、自死のようなものだ・・・・

成人式のすぐ前の頃、そういう考えを捨てたのであった。ま、劇的な「回心」があって。

そして、成人式に臨んだころは、普通に生きてゆこう、と考えていたのであった。

 

記念植樹をした(自分たちで考えてしたことではなくて、そういうモノであった)ことを覚えている。アノ木が育っていれば、もう樹齢50年である。おおきな木になっているだろうなあ。

 

ボクの場合、成人式は、自意識過剰から抜け出たころと重なっている。

ま。ボクは奥手だったから・・・一般的にはもう少し早く抜け出しているのかもしれないが・・・あの年頃は、そういう、危険な時期のように思う。

 

大人の仲間入り、きわめて常識的な見方かも知れないが、自分を振り返るとき、そういう「通過儀礼・大きな区切り」であると思うね、成人式は。