『進化論はいかに進化したか』

新潮選書

 

ダーウィン以降の進化論を知るために、図書館から借りてきた。

第一部 ダーウィンと進化学 

第二部 生物の歩んできた道

いま、第一部を読んだところである。

 

ダーウィンは、十数年後に『人間の由来』という本を書いている。

第一部 人間の由来または起原

第二部 性淘汰

これも、読んでみようと思っている。講談社学術文庫全二冊

 

これらに関連して、日高敏隆『人間はどういう動物か』を読み始めた。

 

すべて、まだ読み始めたばかりである。

 

種の起原』のその後150年は、『進化論はいかに進化したか』で概観できるのではと思って読み始めた。

『人間はどういう動物か』は、久しぶりに日高さんの本が読みたくなったのである。

日高さんは、2009年11月に亡くなっているので、2008年に出たこの本は、ほとんど最後の本ではないだろうか

 

ハーバーマスを読んでいて、どうも彼がどういう状況の中で考えていたのかがよく分からないので、三島憲一『現代ドイツ』(岩波新書)も、読み始めた。

ベルリンの壁が取り払われて30年以上が経過した。この本は16年後に書かれており、今から15年以上前に書かれた本である。このぐらい時間がたっていると、私のような何も知らない者でも、少しは分かるのではないかと思って読むのだが・・・・

当時、友人(ドイツ人)から「ベルリンの壁」を貰ったことを思い出します。

 

コンラート・ローレンツの本を読んでいた頃から、そんなに時間が経っていなかったのに、「種」中心説を否定する「利己的な遺伝子」説が出てきて、ものの見方がひっくり返ってしまった(ちょっと衝撃的でしたね)。これと同じころから、人権が大きく取り上げられるようになってきて、今に至っている。・・・ダーウィンが進化論を発表したのは、おそらくは、進化論が世に受け入れられていて、発表しても大丈夫という空気が感じられたからであろう。大航海時代から数百年が経過し、地球全体にヨーロッパ人の足跡が印されるようになっていた。

ただ、進化の原理として、生存闘争・自然選択・変異の法則を立て、いくつかの観察を証拠として提示している、これはユニークな点であったろう。

種中心が否定されたのは、今から思えば必然のように思える。たしかあの頃は「日本人」など居ない、というようなことも言われていたような記憶がある。

 

エレメント・最小単位に還元してモノを見る。ばらせるものはばらす。・・・ボクたちは、知らぬ間に洗脳されている、先入観を持たされている・・・これは、若かった私がそう感じていたというより、時代がそうであったのではないだろうか。権威の崩壊。などなど

 

こんなに激しく、価値観が変動した時代というのは、珍しいのではないだろうか

まだ続いているような気もするが。

 

年寄りの思うことだから、脈絡が辿りにくいが。これ以上補足して大きくしたくないし・・・一応、消さないでおこう。