『進化論はいかに進化したか』ほか

始めに、昨日の将棋のこと。序盤から殴り合いになってしまった。ま。お互いにとって初めての展開。守りを固める暇は与えてもらえなかった。

中盤で3三を焦点にして、お互いの駒が集中。ぼくの3二の金が動かされてしまえば負けという状況になった。ボクが何かをするわけにはいかない、相手も手が出せない。

剣士のにらみ合いのような・・・

それを凌いで、勝利した。1時間半ぐらい掛かったか、すこし長い勝負であった

2連勝、先生の前であまり燥ぐわけにもいかず、その後も読書していたので、忘れかけていたが・・・寝床に入ってから、うれしさがこみ上げてきて、30分ぐらい、眠れなかった。こんなに興奮したのは久しぶり。

 

『進化論はいかに進化したか』読み終わった。読みやすい本である。余計なことは切り詰めて、必要最小限を書こうと考えているような・・・

私は、読む傍から忘れてゆくので、内容については書けない。ただ、一番最後のところはまだ覚えている。「なぜ直立2足歩行が進化したのか」

今から700万年前、人類か現れる。なぜなのだろうか。人類の最初の化石から犬歯が小さい、つまり、直立2足歩行と同じころ、犬歯の縮小が起こっている・・・類人猿は大きな犬歯を持っていて、それでオス同士殺し合いまでする。犬歯が小さくなったということは、殺し合いをしない方向に変化したとしか思えない・・・どうしてか

という問いに答えるために、いろいろ書かれてあるが、結論は、

メスの発情期がない方に進んで、何時でもセックスが出来るようになり、一夫一婦の方向に進んだ。そうして、争いが少なくなったのではないか。同時に、家族を養うために、手を使って食料を運んでくる必要が生じた(自分が食べるだけなら四つ足でよかった)というものだが・・・・

 

『人間はどういう動物か』も読み終わった。いろいろなところに書いた文章を編集したもののようで、話題も多い。これ一つということは出来ないが、やはり、コンラート・ローレンツの翻訳をしているくらいだから、ドーキンスの「利己的な遺伝子」には衝撃を受けたようで、それに連なる話題が多かったような気がする。

遺伝子中心に見ると、生物はその乗り物(使い捨て)である。子供を産んだ後は、どうでもいい。(子供を産むまでは、健康で魅力的でなければならない。)

 

人間も勿論動物なのだが、動物から一歩抜きんでているところは、その使い捨ての乗り物である人間が、独自の価値を持つところではないだろうか。「必ず死ぬ」ものとして。生き死にするものとして。

子孫を残すところとは別のところに、価値を見てゆく。