五月五日は端午の節句。三月三日は・・・○○の節句という言葉があるのかな
あるとすれば、私は忘れっぽいので忘れてしまった・・・思い出せない。
・・・モモの節句ですね
今年は、人が集まりにくい、すこし淋しいひな祭りになりそうですね。
3月1日にはすぐ近くで”ショウガまつり”が予定されていたのですが、中止になりました。いつも野菜や花を買う店に立ち寄ったところ、大きなキャベツが沢山並んでいました、安いので買おうかと考えましたが・・・給食がなくなって、余ってしまったのだとか。・・・・・・・・・・
今日は、個人的には、久しぶりに気持ちのいい日になりました。たしか4連敗していたのですが、今日は勝ちました。一度も王手を許さず、序盤から優勢で、勝てたのは久しぶりです。
詰め将棋が苦手なので、いつも守りが難しいのですが・・・
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【霊長類や鳥類が未来を志向する証拠の蓄積もあり、かつては人間だけがメンタルタイムトラベル(心的時間旅行)をすると考えていた人の間でも意見の揺らぎが出てきた。私たちはダーウィンの主張した連続性という立場にますます近づいている。それは人間と動物の違いは程度の問題であって、質の問題ではないとする立場だ】
これは、『動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか』p290に書かれている言葉である。鳥やマウスなども、未来の事を考えて今どうするか、とか 過去の事を思い出して今どうするかなどを考えている、ということなのだが・・・人間と共通の言葉を話してはいないが、そういうことは立場が違えば考えも違うとしても、基本的には人間と同じであると。
ダーウィンの『人間の由来』は、ずいぶん長い間、翻訳されなかったような気がする。19世紀ヨーロッパの差別思想がダーウィンにもあり、それが翻訳が遅れた一番の原因なのかもしれないが、動物と人間の違いは程度の問題である、とする考え方がヨーロッパの中では受け入れがたかったのではないだろうか(ヨーロッパでもあまりこの本の評判が良くなかったから、翻訳されなかった?)。
どうやら1980年ごろから、程度の問題であるとする主張が主流を占めるようになってきたようである。・・・映画『猿の惑星』などは、こういう延長上に生まれてきたのでしょうね
ボクは家内と一緒に、飼っていた犬の寝顔を、飽きもせずに眺めていたことがあるのだが、「夢を見ているようだね。ウサギでも追いかけているのかもしれないね」などと話したことを思い出す。
それはボクが夢を見る様子とほとんど違わないのだろうなあ、と思われたのであった。
仏教徒は、昔から、生き物を連続的に見ていた、だから、ここに探求すべき問題があるとは思いもしなかったのかもしれない・・・・(途中)