小説よりも奇なり

確かタコがサッカーの勝敗を予想したことがあったが・・・・無脊椎動物のタコが「霊長類が持っていると考えてもおかしくない水準の戦術的技能を窺わせる」という。

また、蜘蛛も驚くべき策略家らしい・・・だからクモ学者は蜘蛛の認知について語り始めた、と。『動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか』p329、330

 

蜘蛛と人間の祖先が分かれてから、どれほどの時が経過したことか

 

カンブリア紀に生命の大爆発(的進化)があったと確か読んだことがあるが、あれは5億7千万年前の頃であった・・・そのころ分かれて、全く別の進化を遂げた、蜘蛛とタコと霊長類と鳥類(これは恐竜の生き残りだから当然かもしれないが)が、似たようなことを考えている・・・勿論、感覚器官も異なり大きさも食べ物も異なるので、違いと言えば徹底して違うのだが・・・。

 

・・・・単細胞生物のところまで遡れるのではないか。

 

生命は、命の存続を大切にする。ということは、食べ物を求め、子孫を残すことに、尽きる。それを核として、時間の中で、知恵を磨いてきたというのは、すべての生あるものに共通だろうから、身体が違い働きが違っていても、認知作用は似ていて当たり前と言えば当たり前である。

 

そろそろ終わりに近づいてきたので、『オスとメス=性の不思議』長谷川真理子講談社現代新書)を読み始めた。

ダーウィンは、『種の起原』で進化の原理を探求したのだが、まだ解明できなかった多くの問題が残った。その一つが、オスとメスの違いである。

自然淘汰の中でなぜそういうモノが出てきたのか・・・何故オスとメスはあれほど違うのか・・・それで次には『人間の由来』を書いたのだが、そのテーマは、人間の由来だけではなく、オスとメス、男と女の違いはなぜあるのか、というものであった。

そのあとで、さらに一冊、人と動物の連続性を示す目的で書かれた本がある。

ということである。

 

・・・・この本を読み終わってから、もう一度、J・グールドの本に戻ろうかと考えているが・・・・私は飽きっぽいから如何なることか。