墓参をすませて、昨晩帰宅。疲れました
墓の中には、骨壺の中に骨が入っているだけなのだが・・・そこに父も母も居るわけではないのだが・・・手を合わせる場所としては、やはり、此処(お墓)なのかな。
仏壇には位牌が祀ってあるが、そこにはいないような感じだ。家の中にも居ない。となると、やはり、墓の中ということになる、か。
理屈で考えれば、おかしな話である。もう、何処にも居るわけがないのである。ボクの記憶のなかにしか居ない。だから、場所に拘る必要はない。しかし、
手を合わせる場所が、欲しい。”記憶の中”では、手を合わせにくいような・・・
単に、年を取ったということかもしれない。
・・・彼岸やお盆に(時期に)こだわる必要もないはずだが・・・こういう時期に参りたい。
今年は一人でお参りしたので、回天神社にも手を合わせた。
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帰りは連休中日になったが、道路は空いていた。人出はいつもの半分以下ではないだろうか。老人が少ないようだ。
空は晴れていたのだが、風はきつかった。