3月は、ちっとも落ち着いた感じがなく、過ぎました。
私は、新聞・テレビを見ませんが、ネットニュースはよく見ます。
ほとんどオリンピックとコロナだったような気がします。
ヤフーニュースを見る機会が多く、今回初めて、ツイッターのコメントを幾つか読んでみました。
反射的に出てくる言葉というのは、こんなものかもしれないなあ。というのが正直な感想です。ちょっと間を置けば、別な感想も出てくるような気がしますが・・・それはツイッター的でないのかもしれない・・・
昨日「日経Web」で、『コロナ後の世界に警告』サピエンス全史のハラリ氏 という記事を読みました。ちょっとショックを受けました。
戦争で技術革新が起こり、戦後世界はガラリと変わるということは、知識としてもっていますが、それはあくまで知識としてです。
今回、今進行しているコトの後に何が待っているのか。書物の中の事ではなく、現実問題として。突き付けられました
いまパニックの中で決断したことが、次の世を作るのだが、パニックの中で決断するときに、次の世に対する予測はどれほどなされているだろうか。収束した後の事をどれほど考えているだろうか・・・
普段なら多くの時間をかけて検討し決断することを、ほとんど瞬時に決断する・・・その先には。
911テロの後、監視社会化が一段と(おそろしいほど)進んだ。今回もう一歩進む。健康チェック。それはどういうモノなのか・・・どういう世界を創り出す可能性を持っているものなのか。
ちょっと怖いものを垣間見たような気がします。コロナも怖いが、その先にあるものはもっと怖い、なにしろそれは人間が創ってゆくのだから、本当に油断できない。