何をかいわんや

フォッサマグナ』を読んでいたら、”ジオパーク”の事が書かれてある。

検索してみたら、糸魚川山陰海岸が、世界的に認められているという。

すぐ近くに住んでいて、何度か足を運んだこともある。しかし、そのころ地質などに関心はなかったので、見て見なかった、ということであろうか

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お坊さんがすべてそうだとは思わない(三蔵法師など見聞記を書いている)が、私は観光にはまったく興味がなかった。ペルー(に行っても観光地は見ていない)から帰ってくるまで、まあ、興味がなかった。観光だけではなく・・・住んでいるところの近くでも、直接関係のないところは、地名も知らないほど、無関心であった。

・・・では、今は?

 

今回、地形図や地質図を見たりしているのだが・・・果たして、ジオパークに行くことになるかどうか・・・分からない(おそらく行くことはないだろう)。

行ったら行ったで、面白いだろうとは思うが・・・。

石を集めて、もっと変わった石も見たい気がしないではないが・・・。

 

歳をとったということだろうか。(そうにちがいない)

中年ごろまでは、わざわざ観光旅行はしなかったが、行った先で近所を散策するのが大好きで、スニーカーで登れる山には気軽に上っていたし、博物館などにも気軽に入る方だったから。

 

・・・悔やむ気持ちが起こらないわけではない。しかし、二つの人生を同時に歩くことは出来ないわけで・・・何かを選んで歩いてきたということは、何かを捨ててきたということであろうか。

 

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ドイツやヨーロッパはこれからどういうことになってゆくのだろうか。EU人になるには長い時間が掛かることだろう。数百年か・・・しかし、あれほど沢山の移民を受け入れたということは、後戻りはできない、先に進むしかないということであろう。

フォースター(1879~1970)が、第二次大戦のあとで、たしかこんなことを言っていたと記憶している(非常にあいまいな記憶だ。まちがっている可能性は大)

ドイツを許せない。許すときは来ないだろう。しかし、隣人だから、隣人として付き合う、絶対信用できないので契約関係の上で付き合う。と。

・・・EU人という理想は高すぎないか

 

私は、小さい時に引っ越して、近所づきあいを知らないまま大きくなった。だから、近所づきあいというのは、寺の住職になって初めて知った。いかに難しいか。

何代も遡った近所同士の経緯を教えられ、悪口を言い合いながら、仲良くしている。決して許しあっているのではないが、近所同士だから。勿論すべてがそうではない。必ずしも血縁同士ではないが、いくつかの集団に分けて考えられる・・・。

一旦何か利害が絡む問題が起こると表面化してくる。それは誰も知らない過去が関係しているかもしれない。それがほじくり返され、溝を作り溝をえぐる。

・・・・移民排斥の後、100年後200年後に起こるのはどういうことなのか。アメリカの後を追うことになるのだろうか。

 

・・・確かに、そんなことばかり見ていても何も始まらない。光の差す方を見なければ!

 

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独ソ戦』なかなか先に進まない。