ゲーテの若い頃を読んでいて、自分の昔を思い出す

勿論、比較も何もない。そういうことでなく、そのころ、自分はどうだったろうか、と考えたのだ。

私はずいぶん背伸びをした。学校で教えられない本を読み漁り、ついにはその虜になってしまった。

頭の中は、嵐のようである。目を開けてみれば、世界はいつも通りなのだが、私だけは球のようなものに閉じ込められ、嵐に翻弄されている。

そのことに気づいた時、逃れようとしたのだが、どうしても逃れられない。

ついには、頭を撃ち抜かれて死ぬしかない、と思い詰めるまでになった。

ところがある日、私を閉じ込めている球が消え、私は解放された。

藻掻き始めたのは17歳ぐらいで、解放されたのは20歳ぐらいだったろう。

友だちを作ったり、女の子と付き合ったり、普通の生活が出来るようになったのはそれからである。

 

しばらくは、失ったもののことを考えたことはなかった。

しかし、今思えば、それは計り知れないほど大きかったようにも思う。

閉じ込められる苦しさの中で、逃げないで、もう少し冷静に事態を見つめるべきではなかったのか。と。

そういうことを思うようになったのは、27、8の頃であった。

このときから、私は”にげぐせ”がついたように思うのである。

 

ひとそれぞれ。そのときそのとき、目いっぱい頑張って・・・そういうこととは違う評価というのは勿論あるのだが、そういう評価というのもアリだ。きわめて個人的なものだから、ま。黙っているのが賢いかも。