一日中よく降りましたね

梅雨に入っても雨の降らない年もあるのですが、今年は梅雨に入ったばかりなのにもう半分ぐらい降ってしまったのではないでしょうか

 

久しぶりに「哲学書」を読んでいて、いろいろ詰まらぬことを思い出したりしています。今日は散歩も出来なかったし・・・

 

禅でも、道元門下では、言いうるということ、言葉で表現することが重視されますが、あまり頭が緻密ではない私のような者は、身体で動くことを重く見て、言葉を使った参学というのは、ま、ほどほどに、という感じでやってきた。

井筒俊彦さんの本など読むと、言葉で表現することがとても大事にされ、考えても言えないのではしょうがない、というようなところが見える。

ま、多分に哲学者のようなところがありますから、当たり前と言えば当たり前なのでしょう。

 

ニーチェの本などを読んでいると、実に読みやすい。しかし、ドイツ語としてはゲーテとともにドイツを代表する素晴らしい文体だというのだが、そういうことは分からない。これだけ読みやすい哲学書は他に思いつかないので、確かによくこなれているのだろうとは思うが。

たしか、ダンテを読んだときも、南米の誰でしたか、ノーベル賞作家が、素晴らしいラテン語で、全部暗記しているようなことを言っていましたが、残念ながら、そういう素晴らしさは分からない。勿論興味深く読みましたが。

 

ペルーでは、子供たちが詩を作り発表したりしていました。全校生徒の前で、自作の詩を朗読するのですが、そういうことはとても大事にされているようで、聞いている子供たちも、真剣な表情をしていました。発表する生徒を羨望のまなざしで見ているといってもいい。終わると大きな拍手が送られる。そして、後で、その詩は表に張り出されて、しばらくは誰でも見られるようになっている。

 

言葉で表現する、ということは

書くだけでなく、読む、声を出して読むということが重視されている。

 

禅の世界でも、そうなのだろうと思うのだが、どうしたわけか、私は・・・私の周りでも詩を創ったり歌を作ったりする人は少なくないのに、そういう営みを大事にしては来なかった。手紙に添えて詩を送るということも試みたことはあるのだが、続かなかった。

だから、いろいろ書かれたものは読むのだが、表現は苦手である。多分理解が浅い・・・残念。

今にして思えば、何かに囚われていたなあ、と反省する。

 

ファウスト博士』読み始める。ニーチェの『道徳の系譜』読み進む。