『列子』より  3

少し長いですが。

 

宋の国の陽里という土地に華子というものがいた。中年のころから健忘症にかかった。朝、人から物を貰ったことも晩にはすっかり忘れてしまい、晩に人に物をやったことも朝にはまるで忘れてしまう。いやそれどころか、道路では歩くことを忘れ、家に居ては坐ることを忘れ、さっきやったことを今忘れ、今あった事がすぐ後から分からなくなってしまうという始末。そこで家中の者がこの病気を心配しきって、占い師にたのんで占ってもらったが、占いの卦がたたず、巫女にたのんで祈祷してもらったが、さっぱり効き目はないし、医者に頼んで治療してもらっても、いっこうに癒りはしない。ところが、魯の国に儒学を修めた先生がいて、自分から申し込んできて病気を治癒してあげようといった。そこで華子の妻子は財産の半分を投げ出してその治療法をお願いした。するとこの儒者の先生はこういった。

「この病気はもともといくら占っても占えるものではなく、また、いかに祈祷しても効き目があるものではなく、とても薬や針などで治癒せるものではない。わたしがひとつこの方の心や意識を変えてみましょう。そうしたら治癒るかもしれません。」

そこで試しに病人を裸にしてみたところ、やはり着物を着たいというし、腹を空かせてみたところ、やはり食べ物をほしがるし、暗いところへ閉じ込めたところ、やはり明るいところへ出たがった。そこで儒者の先生はたいへんな喜びようで、その家の息子に向かってこういった。

「この病気は大丈夫治癒せる。だが、私の治療法は一家相伝の秘訣で、絶対他人に知らせるわけにはいかん。暫くおそばの近親者たちを遠ざけてもらいたい。わたしだけ病人と一緒に七日の間一室にひきこもりたい。」

その家の人たちは、言われたとおりにした。だから、彼がどんな手当てをしたのか分からなかった。しかし、とにかく彼のおかげで永年の病気がいっぺんにけろりと治癒ってしまった。

ところが、華子の方はやがて正気に返ると、かんかんに怒って、女房を追いだし息子をどなりつけ、矛を持ちだしてその儒者先生を追っかけるという大騒ぎ。

宋の国のある人が華子をひっつかまえてその理由をきくと、華子は息を弾ませながらこう答えた。

「以前わたしが健忘症にかかっていたときには、心はゆったりとしてこせつかず、天地があるのか無いのかすらも全く意識しなかったものです。ところが、今やにわかに意識がよみがえって、過去数十年来の生死とか損得、哀楽とか好悪の感情が、ごたごたとみんな一緒に湧き出してきました。これから先もおそらく生死や損得、哀楽や好悪の感情が、わたしの心をこんな具合にかき乱すのではないか、と心配でたまらんのです。ほんの一時でも以前のように万事を忘れるという楽しみがもう二度とできなくなってしまったのです。」

華子のこの言葉を子貢が聞いて、合点がゆかず、師匠の孔子にそのまま話した。すると孔子は、

「これは、お前にはまだ分からないだろうよ。」

といって、振り返って顔回に言いつけて、その言葉を書き留めさせた。

 

列子 上 周穆王第三 九  (岩波文庫

 

とても面白い。孔子先生、なかなかです。老荘に理解ありすぎ。

 

勿論。わたしが面白いと思うから、こんなに長いのを書き写しているわけです。

 

・・・・・・

 

勿論架空の話である。しかし、まんざら全部が嘘ではなく、実話が粉飾されているのであろう。その意図はいろいろあるだろうが、私が思うことは、一番には、人の外見から中味がそんなに分かるのか?ということであろうか。

本人がしてほしいことをしてあげるのは簡単ではないのでは?・・・自分の思いを押し付けることは必ずしも親切ではないのではないか?人の気持ちがわかるのが人間らしいこととされているが・・・ね。

 

見ていて辛そうでも、その人は別天地に遊んでいないとはいいきれない。原則、助けを求められないなら、手を出さないのがいいのでは??

とくに年寄りの気持ちは若い人にはなかなか分からないだろうね、経験してないから。年寄りは様々な経験をしてきているので、それこそ、ひとそれぞれ。人生いろいろ、思いもいろいろ。簡単に手は出せない。

 

因みに、ここで儒者が登場するのは、当時儒者の権威が高かったということの反映かもしれませんね。孔子と子貢と顔回が、とくにスターだったのでしょう。

 

ひとそれぞれ、私の感想は、私の感想にすぎません。