朝風呂に入る

銭湯の朝風呂、誰も居ない、朝日が差し込み、壁の一部が白く輝く。

どのような因縁で、老後に、こんな幸運を引き当てたものか・・・

などと考えていたら、ふと、あれは『荘子』だったか『列子』だったか

そこに書かれてある話を思い出した。

早速、荘子を当たった。すぐに見つかった。雑篇、徐無鬼篇の十一

 

【Sは8人の子を持っていた。それを前に並ばせると、人相見の名人Kを呼んできて「わしのために子供たちの人相を見てやってくれ。どれが幸運にあたるだろう」とたずねた。Kは「梱さんが幸運にあたります」とこたえた。Sはびっくりして喜ぶと「どうなるんだろう」と問い返した。Kは「梱さんは一国の殿さまと同じごちそうを食べて、それで生涯を送られるでしょう」とこたえた。すると、Sは悲しげな様子になって涙を落すと、「わしの子供がまたどうしてそんなひどいことになるのだ」と呟いた。Kは言った「いったい一国の殿さまと同じごちそうを食べるということなら、その恩恵は父母の親族や妻の親族にまで及ぶものです。ところがいま、あなたはそれを聞いて泣いていますが、これは福運を拒んでいるのです。お子さんは吉祥ですが、お父さんは不吉です」

Sは答えた「Kよ。お前さんにはとてもここの道理はわからないよ。いったい梱は幸運なんだろうか。酒や肉のごちそうがいっぱいあって、鼻や口に入ってくるとしても、それがどうしてやってくるのか、そこまではとても分からないだろう。・・・

わしがわしの子供たちとのびのびと暮らしているのは、天地のひろがりのなかで遊んでいるのだ。わしは子供たちといっしょに楽しみを天界からむかえている。わしは子供たちと一緒に食べ物を大地からとっている。わしは子供たちと一緒になって事業を起こしたりせず、謀略したりはせず、怪しげなことを企てたりはしない。・・・・ひたすら周囲のままに従い、なにかつごうのよいことを選んで行ったりはしない。ところが今や、ここに世俗の報いがやってきた。危うい事だ。わしとわしの子供たちの罪ではあるまい。おそらくは天の与える運命であろう。わしはこういうことで泣いたのだ」

 

それからいくらもたたないうちに、梱を燕の国に行かせたところ、その道中で梱は盗賊につかまった。五体満足で売ろうとすると、逃げる恐れがあって売りにくい。それよりも足の筋を切って売りやすくしたほうがまさっている。そこで、足の筋を切られて斉の国に売りとばされた。それが、ちょうど屠殺者の親分がいる町であった。そこで、梱は殿さまと同じような肉を食べて生涯を終えた。】岩波文庫荘子』第三分冊p260

 

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今日も暑くなりそうですね