昨日の

続きを書こうと思ったのだが・・・最初に如何いうことを書こうとしていたのかがよく分からない。思い出せない。途中から引っ張ることは出来そうなのだが・・・それではねえ

 

先祖や親、子供、孫というものに、絶対的な価値を見出していければ・・・一度見失っても、また戻るところがあるわけだから・・・

仏教は、東洋の農業主体の社会の中で、血縁を重んじるような考え方とともに歩んできたように思える(お坊さんたちは、原則独身だから、師匠と弟子との繋がり、血脈を重んじる。これが世間の相続制度と相似形をなしている)

キリスト教のような一神教的な考え方とは違うけれども、儒教道徳と補強するようにして、歩んできたように思える。

そういうものが、時の流れの中で(いろいろ理由はあるが)風化し、影響力を失いつつある中で、個人が、自分で自分の道を探して歩まざるをえないように、変わってきた。

 

当然、得たり幸い、と羽を伸ばす人も居るが、どっちへ行っていいか分からず、立ち往生する人も居る。立ち往生組は少なくないかもしれない。

 

・・・私が初めて、一人でアメリカ旅行をしたとき、まさに立ち往生であった。ロサンゼルス空港で、「此処からは自由にね、あなたの今夜の宿はここ、ダウンタウンのホリデイインです。定刻までに着くように。」と言われて送り出されたのだが、さて、右も左も分からない。旅行案内は見ていたつもりだったが・・・

本当に困った。呆然自失。

・・・如何歩いたのかよく分からないが、なんとか宿にたどり着いて、チェックインしようとしたのだが、私の英語は通じなかった・・・幸い日本人らしい人が居て、手伝ってくれて、無事チェックインできた。部屋に入っても、30分ぐらいは動けなかった。(それからの2週間も、似たようなことの連続だったなあ)

・・・同じ飛行機で行った大学生らしい二人連れは、レンタカーを借りて移動する予定らしく、さっさと行ってしまった・・・

 

・・・私などレールの上を歩きなれていたはずなのだが・・・反発して、レールを踏み外してしまった。そこで立ち往生しそうになっては、何とか歩き出し・・・

踏み外してしまったのは、社会規範が、もう以前のような拘束力を持っていなかったからであろう

 

自分に合ったレールを見つけ出したいのだが、どこにも見当たらない、のであった。

 

・・・・・・・・・

 

刑務所から出て、歩き出そうとしても、世間の風は冷たく、行くあても無い。たった一日で懲りてしまうのは早すぎるように思うが・・・それからの行動も身勝手すぎるが・・・自己責任だとそういうことも出てくる。

 

コロナウイルスのようなものだと、感染するわけだから、こういう身勝手は許すわけには行かない。行政的な対応が温すぎるなら、自衛するしかないと考える人たちが出てくる。

 

全部セットだからなあ・・・

 

基準を喪失すれば、目の前に事態に反応するしかない。まさに、ダーウィンの世界である。

 

・・・・・・・

 

これも、昨日書きたかったことではないようだが・・・

重力という、重い言葉とうまく繋がらないような・・・