先ずは全然違う角度から。
先日、図書館で「ツバメのすべて」(のようなタイトルの分厚い本)を、パラパラめくっていたら、「ツバメの浮気率」という項目があった。
そうとう以前になるが、ヨーロッパの研究者の調査によると、ツバメの浮気率はやく30%(人間と同じ)と報告されていた。それを少ないと取るか多いと取るかは別として、私はそうとう多いと感じて、この事を記憶していたので、この項目だけざっと流し読みした。
日本の、卵か雛か忘れたが、それの遺伝子が父ツバメと合わない確率がやく3%であった、そしてこれは日本人とほぼ同じである、と。
同じ動物のことだから、一致すると安心できる。・・・ではヨーロッパの調査結果は何を意味するか?
日本のツバメは、一軒の家に一個の巣というのが大半だが、ヨーロッパのツバメのばあい、軒の下にずらーっと巣が並んでいるのが普通らしい。だから、日本のばあいは、オスがストーカーのようにしてメスを監視するのが容易だから浮気のチャンスは少ないが、ヨーロッパのばあいは、目を放す機会が多くなる・・・
・・・・すると、今は日本でも外に働きに出て眼を放す隙が多い(農業社会ではない)のだが・・・統計的にそれはなぜ表れないのであろうか???
生物の生き残りということから見ると、監視されてなかったら、浮気率はかぎりなく100%に近いのではないかと私などは考えている。(ボノボのように)
そして、いま、そういう社会になりつつあるのかな、と。それに歯止めをかけているものは、何なのか、興味あるところである。
『歎異抄』には、宿業によって、ヒトはどんなことをすることになるか分からない、と書かれてある。・・・自分に歯止めをかけるものが何もない時には、生理的欲求に引きずられるかもしれない・・・良心のようなものが本来備わっているわけではない。
現代社会は、ある種の人々には、青天井の素晴らしい世界かもしれないが、多くの人々には、不安を呼ぶ、群れたい気持ちの起こる世界かもしれない。そこで、不安を抱えながら一人で立とう(群れない)とするのは、そうとう意識的でないと出来ないことであろう。もちろん恰好だけなら何でもアリだ。
・・・・・・・・・
今回も、書きたいと思って書き始めた時とは、違うことを書いてしまったようだ。
(メモを作って、そういうことのないようにすることも考えたが、・・・日記のようなものだから、どれほどの違いもないのではないか。)