回想など

自分を、もう要らない存在だなどと書いてしまったが・・・それには訳があって;

 

50代中頃から、急激に体力・記憶力が衰えてきて・・・そこに追い打ちをかけるようにして、家内に死なれてからは、寺を守る自信を失ってしまった。

今のようなことが進めば火事を出してしまうのではないかという不安が高じて、ついに引退を決意したのであった。

(ロウソクの代わりに電気式に変えたり、炊事もガスではなく電気に変えたりすればいいではないか、ということをアドバイスしてくれる人も居たのだが)・・・長居をすれば、後継ぎを探すのが難しくなるばかりだろう、という思いも強かった。

 

・・・それに若い時からの憧れが思い出された。家内がなくなって悲しいと同時に解放感があったのだろう(当時は意識していなかったが)

生きているうちに、遠くに、できるだけ遠くに、行ってみたかった。

地球の裏側に。まだ、元気が残っているうちに!!

そこで死んでもいい・・・いや。そこで死のう。

 

当時は、衰えは一直線に進行する、とボクには思えていた。

 

あれから15年以上が過ぎて・・・そうではないと思うようになってきた。一歩進んで二歩下がる、とまではいかないが、急激に進むときと停滞するときがある、ようだ。

 

・・・50代の頃は、下り始めた時で、ショックが大きかったのだ

だから、当時は、私は65ぐらいで(あるいは70か)何もできなくなるだろう、と思い込んでいたのだが、過ぎてみればそうではなかったな、と。

 

今ではもう無理は利かないが、自分の事だけなら、なんとかやっていける。

 

60過ぎて新しく挑戦したのは、スペイン語と将棋だが・・・

 

やはり、若い時から好きだったことには及ばない。若い時から好きだったこととは、読書である。

・・・この歳になってくると、その分野はかなり限られてくる。若い時に興味を持っていた分野の一部だ。

・・・新しい分野ではない・・・ちょっとつまみ食いをしてみるのだが、どうやら口に合わない。

 

私の知っていたMさんは、80になった時に、誕生日プレゼントにワープロ(当時出たばかりの)を貰って、本を書いた。長い間関心を抱いていた宗教の本である。それまで書き溜めていた原稿なしに書けるような本ではないのだが、ワープロなしに完成したとも思えない。

 

それを思う時、ヒトは棺に蓋をするまでは、なにが起こるか分からないなあ、という気もする。

 もう要らない、とは書くべきではなかった、と反省する。