昨日何気なく、心事と書いた。その後考えてみれば
私は「心の事」のような意味で使っていた。しかし、「心の事」とはどういう事か
また、「心と事」とも言える。・・・
いつの間にか、慶喜さんを離れて、「心事」という言葉の周りを歩き始めた。
陶淵明など、ずいぶん似ている。書いた詩もほとんど心事ではないか・・・
漢詩は心事を描きやすいということか
いや。一切は事である様でいて実は心の顕われであるから、・・・
事を描いているようで実は心を表現しているのかもしれない
何しろ見ている対象は事のようでいて、心であるとは自明の事ではないか
そう考えてくると、司馬遼太郎は何を書きたかったのか
水戸学の「縛り」だろうか。
見方によっては、ついこの間まで日本は「水戸学に縛られていた」とも言えなくはない
・・・・・
ま。面白ければいいではないか。とも思う。
本能を忘れかけて、代わりに、「一神教的」な何かを掴んでしまう・・・
なんとも、面倒な生き物だなあ、ヒトというのは。
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心はどんな微細なところでもどんな広大なところでも自在に駆けることが出来る
人に分かってもらおうと思えば論理の筋を通さなければならないが・・・
・・・・・・・
司馬遼太郎の関心は「将軍になるところから将軍を降りるまで」だったのだろう。
だから将軍を降りた後の「徳川慶喜」にはさほど紙面を割いていない。
しかし、ヒトは棺に蓋をするところまで、元将軍だから・・・
元将軍に関連しないことは削ぎ落した。
ボクは、清水の次郎長は慶喜さんにあったことがあるのだろうか、なにしろ自転車で走り回っていたというし・・・
とか、そういう瑣事が好きなのだが・・・それは山田風太郎の領分かな
でも、本筋を逸脱するのも悪くないのでは。
「恐れ多くて」出来ないかな。