やはり「二の矢を放たない」ということを言わないといけないような。
ボクの知っている修行というのは、多くない。
一つが出来るようになって次、と思っていたら、その最初の一つが出来ないうちに年を取ってしまった、というような塩梅で。
「二の矢を放たない」というのと「べつべつ解脱」というのは同じような意味なのだが、教えられたのは「二の矢を放たない」ということである。
これは阿含経典にある言葉だとはずいぶん後で知ったのだが、教えられたときは実に簡単。考え事をし始めたと気づいたら、「ひと~つ」「ふた~つ」と数を数えることに意識を集中する。考え事が途切れるまでやる。ということであった。
つまり、たとえば音が聞こえると、それにつれて、いろいろ思い出してあれこれ考える、そういうことに気づいたら、数の方に意識を集中すると、考え事が止む。
最初の、音が聞こえる、というのは第一の矢だとすると、それにつれて考え事を始めるのは、第二の矢を放つことで、これは止めっることが出来る、ということである。
集中すると音も止められる(消える)が、それは修行の方向ではない。
何が第二の矢か、ということも、必ずしも分かりやすいわけではないが、まあ、呼吸に意識を集中するうちに、分かってくる。
心がけていたのは、「べつべつ解脱」。その場その場で、完了(そわか)。
幸田文さんに「アトミヨソワカ」という短文があったが、ま、だいたいあれである。
他には何もない。と言っていいかもしれない。
阿含経典を読んでいると、そんなことが思い出されてくる。
たったこの工夫一つで人生を歩いてきて、いままさに終わろうとする。・・・のであるなあ