『佛教論』など

増谷文雄著 すこし古い本である。

 

借りてきたのは、この人の最初の頃の問題意識はどのあたりにあったのだろうか、ということであった。

【現実の仏教は一種の怪物と私は思う。一方においては素晴らしい人生の指導原理をそのなかに持ちながら、他方においては邪信と迷妄の巣窟である。いまや必要なことは仏教の本質が根本的に研究・反省・論議されることである。】というようなことが序文にある。

 

途中接心などが入り、間が空いてしまったので、最初の方は忘れてしまったが、きのう読んだ「現代仏僧論」は面白かった。

 

廃仏毀釈の時に如何いうことが起こったか、それにたいして、どういう対処がなされたか。お坊さんとしてはあまり触れたくないことなのか、こんな詳しいことは初めて読んだような気がする。

 

この中に、「釋雲照律師」の名前(この名前は私がお坊さんになった時から聞いているのです)があった。戒律復興のシンボル的な存在だったようだ。

 

【雲照の態度のごときも、一方においては、仏教界まれにみる僧侶として称揚されたが、他方においては、時世をしらざる旧式仏教家であるとの非難もないわけではなかった】p236

 

そして、渡辺海旭師の「新戒律主義」が提唱される。

 

いまの曹洞宗など、この流れの延長上にあるようである。

 

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ボクのような、いいかげんな坊主は、あまり煩いことを言われることも無い、ゆるい、ところが好きなのだが・・・就いてきた師匠は皆、それなりに「キビシイ」人たちであったなあ。

・・・ボクは落ちこぼれてしまったのか、かろうじて引っかかっているのか・・・どちらだろうか。

 

『仏教とキリスト教の比較研究』増谷文雄著 これも少し古い。1968年

 

この人には当然こういう本があるだろうとは思っていたのだが・・・。まだ読み始めたばかりである。

4項目から構成されている。人間論・幸福論・信仰論・実践論

 

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自分は好きなことをやってきたのだが、かなり局限された世界で生きてきたのかもしれない。まあ、あたりの景色も見て見たくなった。

・・・・もちろんそうとばかりは限らないのだが。ひさびさに仏教関係を手に取っていると、そんな感想が起こる。

 

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どうも元気が出ない。さきほど散歩をしてきたのだが、いつものコースを歩きとおす気力がなく、途中で引き返した。が思い直し、また引き返してはまた思い直し、また引き返し・・・

すこし気温が上がったからかもしれないね。

結局は、距離としてはいつもぐらい歩いたことになるのかな

 

・・・。うどんも丸のみ。ご飯も丸のみ。こういうことも関係あるかもしれない・・・やはり歯医者に行くべきなのだろう。しかし、行けば”4本”は抜かなくてはならないのではないだろうか・・・。

なかなか決断できない。