2月1日

もう2月ですね

気持ちが落ち着かない中で時間が過ぎてゆきます

何人かから、ずいぶん慰めの言葉を頂きました

みんな心配してくれているのですね

有難い事です

 

ボクは体の中の変調に耳を傾け、不安を感じると同時に

いろんなことを思う

 

たぶん誰も似たような経験をして生きている

ぼくは子どもの時心臓弁膜症といわれ、いつも体育は見学だった

ぼくは心臓が肥大していると言われた

誰さんはやはり70頃にたようなことで入院・手術し90過ぎまで元気にしていた

そうなんだ

 

ただ誰も言葉では伝えられないいまここを生きているのも確かなことだ

それは原因・結果の系列とはすこし違っている

長い間黙々と動いてきて、そろそろ休みたくなっているのだろうなあ

多分それは私自身も同じことなのではないだろうか

ただボクは痛いのや苦しいのは苦手なんだよなあ

苦手や不安をもひっくるめて今のあり様なのだから、そのまま受け止めるべきなのではないか

治すのではなく

ここで私はまた間違った方向へ行こうとしているのではないのか

国が決断すべき時に決断を過って(決断できないで)後悔するように

ボクも安易な方に逃れて後悔してしまうのだろうか

なにしろこの不安定な心音を聞くのは辛い、

ますます不安定になっていくそのまま放置し続けることが出来るだろうか

今や治す手立てが確立しているというこのときに。

 

こういう迷いもあと数日

たぶんボクは検査入院をボイコットすることなく

出かけてゆくことだろう

休みたがっている心臓に鞭を当てて何がしたいというのだ?

ただ狼狽え反応しているだけではないのか、という迷いを抱えたまま。

 

治療すれば、今とは違う、また別の時間の流れに入ることになるのだろう