”死”については、ずいぶん考えてきたつもり(お坊さんだしね)だが、
身近に感じ始めたのは、つい最近のことだ。
心臓が痛い。という感覚。心臓が痛がるはずはないのだろうが、鈍痛(重い鈍い痛みの感じ)がその存在を教えてくれる。
「背中が痛くなる」と言っていた人が居たが、確かに左の背中側が痛い。
これはヤバいかな、と思って、脈を取ると、脈は正常に打っているように感じる。
ドラマなどを見ると、顔をしかめてから、ニトロを飲んでいることが多い。(まあ、手が震えて間に合わないこともあるが、それはドラマのシナリオだろう。)
だから、このぐらいのことではまだ飲む時期ではないのだろうと思うのだが・・・。
飲む時期も近いのかもしれない。
考えることと、こういう感覚というのは、ぜんぜん無関係とは思わないが、それほど密接とも思わない。
・・・・誰か傍にいてほしい、と思うと同時に、傍に居なければならない人はずいぶん辛いだろうなあ、とも思う。助けてほしいと思うと同時に、それで、その後は?と思う。・・・今助かっても、遠からず、同じことではないかと・・・こういうことは一回でいいのでは。
多分、まだ余裕があるのだろう。指先がしびれて、冷たくなってきている、というようならともかく、まだそこまでは行っていない。
心臓が力強く動いていますから。いままで通りの生活をしていいですよ。と言われたのは確か一週間前であった。
あれから随分遠いところにきてしまったように感じる。
この不安(心臓の存在感)を抱えながら、いままで通りというのは少し難しいかな
ただ、この状態は、昨日から始まったのだが、あと一週間ぐらい同じような状態が続けば、慣れるかもしれない。・・・しかし、ここまでの一週間は慣れる暇なく、だんだん下降しているような思いの中に居るので、これから先に平らなところがあるのかどうか・・・
ゆっくり本を読んでいる気分ではないので、一応しおりを挟んで、そこから先を斜め読みに切り替えた。
・・・・ヒトラーを悪魔か何かに(あるいは邪悪な天才か)したいのだろうか・・・。
これほど 一人ですべてがリードできるものなのか。そう思うのは私が日本人で、西欧の考え方だと、リーダーはそういうモノなのだろうか。
ある程度方向が決まれば、雪崩を打って人はついてゆく。それは確かにそうだが。
・・・或る時から雪崩を打って崩れるものではないのか
天皇のような、唯一の主権者でも、敗北を認めて降伏した。でも、ヒトラーは、最後まで降伏しないで、死なば諸共、を実行した。
ドイツは、ヒトラーの自殺の後に、やっと後継者が降伏したということ。これは日本でいえば、東京まで戦場になったということである。
オールオアナッシング。その戦いに全人類を巻き込んだ。
本当にそうなのだろうか・・・
憎悪の炎というのは、そこまで激しいものだろうか
人間が進化の過程で作られた生き物に過ぎないということを、ありありと感じさせられる。考える葦の方ではなく、弱い葦、のほう。
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