自己中かも

これは昨日書いた記事にある言葉なのだが・・・・

改めて考えて見ると、ずいぶん自己中心だよなあ

 

30代半ばに、目覚めた時に眩暈を起こした(あるいは眩暈を起こして目覚めた)のだが、その時は自分が眩暈を起こしたとはこれっぱかしも思わず、世界がどうにかなってしまったと思い、吐き気とともに飛び起きた。勿論立っていられないわけだが・・・・

40代半ばに、不整脈を起こしたときも、吸っても吸っても空気が足りなくて目覚めたのだが、地球の空気が希薄になっている、滅びる前兆か何かに違いないと思い、大いに慌てた。

 

何方のばあいも、まもなく、これはオレの問題なのだと気づいたけれども、最初は、そうは思わなかった。

2年前、全身麻酔から醒める時も、世界が違うと思い込んでいた・・・自分の身体感覚が戻るにつれて、ICUのベッドの中だと分かったのだが・・・

 

・・・・・これはオレだけの問題なのか。そうではないのではないか。誰も(誰からも聞いたことはないが)、そうなのではないか・・・

でなかったら、阿頼耶識とか末那識とか考えられるはずがない。天動説が信じられたりしないだろうし、また・・・・

 

禅の問答に、せかいが滅びる時に如何したらいいか、という問いがある・・・

 

悟りというのも、曲者で、ヒトは自己中心だから「オレが悟って」しまう。

なかなか厄介である。間髪を入れずに、自分に取り込まれる。

その間にボーとした隙があるようでは、たぶん滅びている。

 

何を書こうとしていたのか・・・・

方向転換

 

病気のことはしばらく書くのを止めます。というのも、自覚症状がほとんど消えてしまったので。

わずかに数秒間背中が痛むときとか、息が上がる時があるが、ここ3日ほどはその程度ですから。

 

ただ、懲りましたので、食事に気を付ける(塩分の摂りすぎ)生活は続けます。

私はKさんとは違って、肝が小さいので、反省して直せるところは直す。

 

車の運転を止めていて、図書館に出かけなかったので、手元に死蔵されていた本に手を付け始めた。

その一つが、司馬遼太郎です。私は、先史時代から歴史時代へ移り個人が登場するようになったのは、鉄器の製造が大きく係わっていると思っていましたが、想像力が働かず、詳しいことは考えられなかった。司馬さんの本を読み始めたら、想像の翼が生えるようで、すぐに虜になった。

ところが、司馬さんと相性が良くないというのだろうか・・・しばらくして鬱陶しいような気がして、やがて中断してしまった。

そういう事情で、読みさしてほったらかした本が何冊かある。

それを読み始めた。久しぶりに読むと面白いし、教えられる。(ただ、それも何冊も続けて読むことはボクには無理なのだなあ)

 

今、『この国のはじまりについて』(文春文庫)を読みはじめた。

 

歯医者に通い始めて、抗生物質のおかげか、痛みがずいぶん和らいで、有難い。

もう1、2本抜いて、ブリッジを掛けたり、しばらくは医者通いをしなければならない。が

・・・・丸飲みではなく、うどんが啜れるかもしれない。今は乾麺を茹でる時に、最初に半分とか3分の1とかに折って湯に入れているのだが・・・長いまま茹でることが出来るかも。こういう小さなことが嬉しいね