『アメリカの鏡・日本』 つづき

第四章 2 誰のための改革か  というところに次のような言葉がある。

 

【私たちは、日本人の性格と文明を改革すると宣言した。しかし、私たちが改革しようとしている日本は、私たちが最初の教育でつくりだした日本なのだ。

近代日本は西洋文明を映す鏡を掲げて、アジアの国際関係に登場してきた。私たちは日本人の「本性に根ざす伝統的軍国主義」を告発した。しかし、告発はブーメランなのだ。】p181

 

日本の近代化は、ペリー来航にはじまる外圧から始まり、西洋文明を模倣するところから始まった。そういう中で育ったものの告発は、そっくり自分たちに戻ってくる。というくだりなのだが・・・当時のアメリカ人にどれほど聞く耳があったろうか。

 

彼女はジャーナリストというよりは学者のような気がする。実に冷静に対象を見ている。・・・『國破れてマッカーサー』に描かれているマッカーサーアメリカ人の代表)を批判しているようにも読める・・・。

 

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アメリカに追随するコバンザメと自嘲したいところもあるが、大多数の庶民から見れば、「よかったのではないか」な。・・・・

アジアは解放されたし、日本には平穏な日々が戻った。小野田少尉には気に入らない未来だったかもしれないが、赤紙で招集された普通の人たちの子供たち(まあ、私もその一人)には、結果オーライではないか、と。

 

全十章の中のまだ第四章を読んでいるところだから、本の趣旨とは外れるかもしれない。単にわたしが勝手なことを言っているだけなのだが・・・。

なかなかいい(読み応えのある)本だと思いますね。