『アメリカの鏡・日本』 読み終わりました

この本は、アメリカ(世界の大国全体)の、パワーポリティクスに対する批判として書かれた。最初はイギリスが、やがてアメリカがその代表となっていったこの政策が、国益を掲げているが、そうではなく、税金を使いながら、一部の利益にしかならないことを理解すべきではないか、ということを、日本を例にとりながら、論じている。(だから、日本のことがそうとう詳しく書かれているのである、合わせ鏡として)

このままこの政策を続けてゆけば、私たちは何処に連れてゆかれることになるのか。

 

確かに、この後、ソ連が・・・そして中東が・・・。敵を創り出し、味方を育て、裏切られ・・・マッチポンプのようなことが続いている。

 

・・・ハリウッドのコミック映画を見ていると、敵を倒すためにヒーローが登場する。と、ヒーローを倒すために、敵が強くなる。それを倒すために・・・・

そして、その陰で、町が破壊され、多くの一般市民が犠牲になってゆく。という展開が多い。現実批判が、こういう形をとっているのだろうか・・・それとも、無批判に現実をナゾッテいるだけか

 

著者は、日本は嫌いだと言っている(中国は好きだ、とも)。しかし、好き嫌いをもって物事を見てはならないとも言っている。(そして、なぜそうなのかも、本を読んでいるとよくわかる。)たしかに、これは正直な感想だろうと思う。だから、耳を傾けるに値する、と私は思う。

 

日本人が書いたものと決定的に違うのは、夜郎自大的な記述がない事である。・・・日本人の書いたものはどうしても自己弁護に思える(そういうつもりで書かれているのだろう)が、この書は、そうではない。

大国(自国)の政策に対して、国民(私たちの税金が使われて、実はどういうことが進行しているのか)に注意を喚起する目的で書かれたと思われる。・・・しかし、そういう意味では、絶版になってしまった(その後も相変わらず同じ政策を続けているし、世界は今も変わっていない)ということは、失敗だったのかもしれない。(レッドパージの吹き荒れた時に巻き込まれて忘れられていったのか)・・・

 

最後に。韓国は、今でも日本に恨みを向けている。・・・中国の声は聞こえてこないが、中国の声は、何処に向かっているのだろうか。あれだけの目にあっている。

世界中から寄ってたかってボコボコにされたわけだが。いつまでも「徳をもって」対するのか。(虫のいい話だが、そうあってほしい)

 

この項、おわり。

 

追記;蟷螂の斧という言葉が浮かんできたが、インターネット社会では或いは❕

とも思うところがある。風通しがよくなり、直ぐにウソがばれるから・・・

 

そうそう。今日はヒバリが鳴いていました。まだ耕耘の始まっていない田んぼの上を舞い上がり。・・・ツバメも、勿論。