春ですね

草木が芽を出し、花を咲かせ、すいぶん景色が華やいできました。

飛び回っている小鳥も、黄色いのや、着飾っているようなのが目に付きます。声も、賑やかになってきました。

日の出もずいぶん早くなりました。

 

今日は彼岸の入りです。

 

店頭に出ている切り花の値段も急に高くなりました。

 

散歩の時の服装に迷います、あまり汗をかきたくないし・・・。

 

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今回、『アメリカの鏡・日本』を読んで、私としては初めて、

そういうことだったのか、と納得したことがあります。

それは、幕末、知らぬ間に「日本」は植民地化されていたということです。

特定の国の植民地にはなりませんでしたが、植民地に適用されるのと同じ不平等条約を強制され、如何ともしがたかった。

これを改正するために、多くの犠牲を払い、改正できたのは日露戦争後、1911年。

 

・・・・ボクは勝手に、植民地化されそうになって必死に撥ね退けた、と思い込んでいた。日本は植民地には為っていなかったと。

しかし、外国から見れば、れっきとした植民地であった(多分イギリスの)

 

戦後の、マッカーサー時代も、独立を保っていたと思っていた。しかし、

完全に「植民地であったのだ」主権は無かった。

これまた、(負けたけれども)独立国家であったと思い込んでいたのであった・・・

 

今まだ、米軍の駐留を撥ね退けることが出来ないということは、果たして

完全な主権を持つ国家なのかどうか・・・日本人がどう思っているかではなく、外国から見ると、どう見えるのか。

 

多分、今のように複雑に絡み合っている世界の様子を見ると、何処の国も似たり寄ったりだから、対等視されている可能性は高い。が

 

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この本を読んでいて、あれほどマッカーサーや駐留軍がキリスト教を押し付けても、結局多くの日本人は、黙って拒絶した、その気持ちが、分かるような気がする。

力はあるのかもしれないが、出来れば近づきたくない。武士ではないけれど、高楊枝でいたい。

 

私たちの次の世代はどう考えているのかは分からないが、ね。

 

 

ライシャワー博士の『円仁』に戻ろう

 

追記:『國破れてマッカーサー』を読んで、亡国、と感じて当然だったのだが、そうは思わなかった・・・鈍いというか。

ペルーで、何人かのお年寄り(先駆者たち)から昔話を聞いた時に、

4年の予定でここに来たが、日本がなくなって帰るところがなくなってしまったので、ここで結婚した。とか、もう日本がなくなってしまったので、日本語を捨てて現地に溶け込むしか道はなかった、とか聞いた。彼らにとっては、本当に日本は無くなってしまったのだ。しかし、日本にいる人たちは廃墟の中で苦しんでいるのが分かったので、アメリカ軍を通して援助物資を送ってもらった、と。(アメリカからの物資の中にこういう外地の人々の善意がそうとう含まれていたようなのだが、知っているかどうか。少なくとも私は知らなかった。・・・ただ日本政府が現在援助しているのはそういうことの延長上にあるのだろうとは思う)