3月はさる・・・

まあ、毎日ビデオを見ていれば知らぬ間に時は過ぎ去る。ということでもあるか

 

将棋の先生Kさんが、一時(今もかも)、韓国ドラマにハマってしまった、と言っていたが・・・

 

一回見たドラマを続けて二回見ると、いろんなことに気づく。その第一は、流れを追うのに忙しくて、いろんなことを見落としているということ。

推理小説を読んでいる時のように。目の前にハッキリ見えているのに、目はそれを見ようとしないのである。

まあ。これは何億年という長い間で獲得した”予知”能力のせいなのだろう。少しでも先が読めれば!!!という思いで、実際に少しだけでも先が読めるものが、多分生き残ってきている。だから、今を写真のように写すよりも、一瞬後を予測するように、頭というか身体全体が働くようにできている。

・・・・・これは、いいところもあるが、欠点もある。たぶん、騙されやすい、ということも其処に原因の一端はあるだろう。

自己保存の本能のようなものになっているところに、ささやかれると・・・判断を誤る。

 

鳥は、群れで行動するようだ。ある一羽が私の影を捉えると、声を出す。すると、岸で日向ぼっこをしていたり新芽を食べていたものたちが、一斉に川に飛び込む。これは、たぶん有効なのである。

 

人間にも、似た傾向はあり、うわさ話に乗りやすい。とりあえずみんなと同じように動く。実際の所、何が起こっているのかは、わからないままに。

たぶん、大抵はそれで間に合う。

しかし、個の判断が重要な局面では、それは必ずしも賢明ではないかもしれない。

でも他にどういう方法があるというのか。

 

今のような時代、自分の努力で、情報収集がある程度出来る。かならずしも尻馬に乗る必要はない時も多くなってきているかもしれない。しかし、群れないことにはリスクも多いかも。

 

とにかく、まだ分からない先を読もうとする。これはほとんど本能のような気がする。

ドラマを最後まで見終わって、もう一度見ると・・・ぜんぜん違って見えてくる。なぜか。先を読もうとしないからだ。たったそれだけのことで、もう違うドラマになっているのである。

 

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ボクたちは、生きている限り、進化の産物という業を背負っている。琅琊山主ではないが、手放すのがなんと難しいか、あらためて思うのである。

 

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今。2026年3月で3Gが終了するということで、通信業界は大攻勢をかけている。それに踊らされた人々が大勢いるようである。乗り遅れまいというのであろうか。

・・・2026年になってから考えればいいとは、思わないのである。

われわれの頭は、というか我々は、ちょっと先のことを考えようとしてしまうのである。それで得をする人も多いだろうが、踊らされる人はどうなのだろうか

おなじあほなら踊らにゃそんそん  か。

 

長編ドラマを十日、日に10時間見続けて、こういうことを思う。

 

ちなみに、まだ将棋を指す自信はない。自分の心臓に自信が持てない。今回も、これだけドラマを見続けて、すこし異常を感じているのである。負けるのが嫌いなので、指すからには全力を投入してしまう・・・。自信がないのである。