『彫刻の部』

原則60歳以上を対象とした講座。これに参加した。昨日が初めてである。

 

どうやら、去年は、リモート講座になっていたようで、去年初めて参加した人の中には

テキストを見てもよく分からないで、のちにDVDも送られてきたが・・・あまり進まなかった。今年が初めてのようなものです、という人も居た。

 

結構賑やかで、ちょっと不安を感じるところもあるが・・・(明らかに三密かな)

 

昨日は、私は初めてということで、‹刀›の使い方を教わった。

左手の親指の先を支点にして、てこの原理を使い、削ってゆく。

木の持ち方、刀の持ち方、手の位置、ふらふらしないための右手の支え方、腋を絞める、などなど。

木(板)の角を鉛筆削りのように削ることと、木(板)にV字形の溝をまっすぐ彫る練習を1時間ほどした。

 

要領は何となく分かったが、次回(来週)までに、少し練習をしないといけないようだ。基本動作を疎かにしては、あとあと心配だ。

 

・・・・・・

 

『中国文学における孤独感』

大分進んだ。

・・・この”熱気”は何処からくるのだろうか。・・・

たぶん防空壕に入っていた時の孤独感(おそらく死と隣り合わせで、暗黒の中でもあったろう)か。原爆の影響をどれほど受けていた人なのかもしれないが(そういう事は直接は書かれていないようだ、まだ読み終わってはいない)。

若い時から考えてはいたに違いないが、多分、戦争が始まった頃、自然にこのテーマは決まっていったのだろうとは思う。

 

ボクは、お坊さんとして(教養として)、漢詩の真似事をしたりしているうちに『陶淵明の詩』を読むようになったのだが、妙に惹かれるところがあって、その後も折に触れて読んできた、ただそれだけのことであった(まあ、高校生の時には漢文が好きであった)ので、この論考には圧倒されている。

 

・・・こんな風に読み込んでゆくのか。それは自分が自分を読んでいるようなものではないのか。