若い時、激しく盛んな意気に燃え、
剣を撫でて一人で諸方をあそびまわった。
遊んだのは近いところだろうなどと誰が言うか
西は張掖から東は幽州まで出かけた。
飢えた時には首陽山のワラビも食べた。
喉が渇いては、易水の水も飲んだ。
しかし自分を知ってくれる人には出合わず
目に見えるのは、昔ながらの丘ばかり。
みちばたに二つの塚を見かけたが
伯牙と荘周の墓だった。
この二人は、二度と得られない友を持った
私は何を求めてうろついたのか。
この詩(擬古その八)など、確かに孤独感を感じさせるかもしれない。
同時代の中には知己を得られない。
しかし、歴史の中には伯夷・叔斉や荊軻、荘周などが居るではないか?
が、彼らも理解者を持っていたが、自分にはいないと。
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当時、彼は本当に旅行をしたのだろうか
年表を見ると、中国北部は異民族に支配されていたようなのだが。
虚構の可能性が大きいのではないか
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孤独感だけが本当だということか
数人の名前が出てきたが、この名に託された思いも本心だろう
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『世界の歴史5 西域とイスラム』(中公文庫)を読み始めた。再読である。