軸装した書

昨日、10時ごろ、知人が表装した書をもってやってきた。

(この時私は、急に歯が痛くなり歯医者に予約を取っていて、出かける30分前であった。30分で話は済まないだろうが、まあ、何処かでそのことを言い出さなければならない。)

 

書を掛ける釘のようなものが見当たらず、すこし低い位置に掛けるしかないが・・・

二本とも、掛けて見た。

家内の書いた「笑門来福」と私の書いた「南無釈迦牟尼佛」

私のものは和尚さんの書いたものと言うのでそれなりの立派な表装がしてある。〈馬子にも衣装だね〉などと言いながら・・・

 

もう忘れていたが・・・私が寺を去る時(7,8年前になろうか)に、よくお寺の行事などで手伝ってくれた人たちに、いろんなものを欲しかったらあげます、といってあげたのだった(何しろ外国に行く事にしていたので、要らないものは捨てるしかない)が、その時に、奥さんの書かれたものがあったら欲しいという声があり、次いでのように、和尚さんの書かれたものもあったら・・・ということがあり、あげたのであった。それが・・・今頃表装されて出てきたのである。

 

「笑う門には福来る」は、家内の好きな言葉であったようで、実際に笑顔で居ることが多かったし、色紙に「笑」と書いたものもあったのだが・・・条幅は、まだ師匠の許しを得て日も浅く、練習中のもので、落款というのか印が押してなかった。それでもいいというので、あげたのだが(それは家内には許してもらえるかどうか分からないのであったが、求められればあげる、というのが私の考えだったから)

こうして表装されて出てくると、複雑である。

 

私の「南無釈迦牟尼佛」は、どうしても自分のお寺の住職さんの書かれた軸を床の間に飾りたい、という檀家があり、断り切れず、練習して書き上げた。その時、何十枚も練習したので、良さそうなものを数枚残しておいた。また欲しいという声があった時に、また書くのは大変だから。それが、このとき役に立ったのであった。

普通軸物は行書や草書が多いのだが私のこれは楷書である。なんとなくぎごちなく、つたないのであるが、まあ、仕方ない。私は楷書しか書けない。

 

軸を見ながらあれこれ話しているうちに、彼女は今日が第二回目のワクチン注射だというようなことに話を転じたので、彼女の思惑は無視して、これ幸いと、実は私も歯医者に行く用事があって・・・と、切り出すことが出来てホッとして、麦茶を出す余裕が出来た。残り15分ぐらいの時であったか

 

(そういうわけで、落ち着いて話せたのはわずかに15分ほどだったのだが、結構いろいろと話せた。作りかけの仏像を見せて、9月ごろ完成したら見せてあげる、と約束までしたのだから。)

 

・・・・・・

 

幽霊見たり枯れ尾花、という言葉があるが、幽霊を見たような感じであったな。

こういうものを見せられるとは。