読書

しばらく空白があったが、『歴史小説の罠』を読み終わった。

ノモンハン事件のことも、海軍のミッドウェー海戦惨敗の隠ぺいのことも、あまりよくは知らなかったのだが、目からウロコが落ちるような、気がしました。ずっと、なぜ、という気がしていたのでしたが・・・。

勝海舟のことも、徳川慶喜のことも、福井さんのような見方がストレートでスッキリしますね。そうでなければならない、と。

武士道を捨てて(魂を捨てて)、命を拾った。それは、亡国の所業ではないか、と。

これに関連するでしょうが、ボクはずっと高橋泥舟が好きでした。潔いような気がして。

特に、徳川慶喜の進退のことは、この前の大戦の和平交渉がなかなかうまくゆかなかったのは、天皇を守ることに拘ったこととも重なって見えてきます。徳川将軍は死にたくなかった・・・昭和天皇は自分が責任を取りたかったらしいですが、周りはそれを許さなかった・・・。

『現代中国学』で、名と実について、〈名〉優先の日本人・〈実〉優先の中国人、ということが書かれていましたが・・・どうもすべてを手にした指導者は、中国だけではなく、日本でも〈実〉優先に傾くようですね。

 

『跋扈する怨霊』も終わりました。怨霊が大人しくなったのは、怨親平等の思想が広がったからである、というのも、なるほどと思います。敵も味方も、同じように弔う。

こういうことになれば、怨霊は自然に消えてしまいます。

室町時代、夢窓国師天龍寺を創建(1340頃)したころより、こういう仏教思想が武家社会に浸透していった。(年表には後醍醐天皇慰霊のため、と書かれていますが・・・この本では怨親平等と。無窓国師以前・仏教伝来直後から怨親平等の弔いはあったが、国師の影響力が大きかった、また武家のモノの見方がそれを支持したということでしょう)

 

・・・・・・