出処進退。これは歴史ものを読んでいると、気になります。
戦後は、命よりも尊いものはないということになりましたので、全然話は違いますが。
オレが居なくても、ほとんど同じだ。というように思えるかどうかだろうか。
オレが居ないと、30年は違う、などと思うと、オレの命が惜しくなる・・・ヒトにそういわれて、その気になったりする・・・。しかし、オレが居なければ30年は違う、というような自信がないものが、国事に奔走するだろうか、とも思う。
歴史ものを読んでいると、彼が生きていれば、その後の日本の歩みは違っていたのではないか、などということが書かれていたり、そう思わせられたりするのだが。
では、一歩譲って、その通りだとして。どう違っていたのだろうか。その先には明るい未来が展開したのだろうか、と思うと、ほんの目先の事だけではないのか、とも、思う。やはり、糾える縄のごときところがあり、分からない。分かったつもりになりたいというのは、理解できるが。
そうは言っても
江戸の無血開城が、もし戦争になっていたら・・・大きく変わっていたのではないか。
徳川慶喜が腹を切れば、少しは変わっていたのではないか。
というようなことを、思わないではない。
まあ。パラレルワールドである。
真珠湾やミッドウェーの方まで出かけていなければ・・・。あれほど惨めな負け方はしなかったかもしれない・・・。少なくとも、失敗の責任は取るべきであった、と。か。
しかし、これも、後知恵であろう。その時点では、ある意味で失敗だが、別の意味では、失敗でもなんでもない、挽回できると解釈できたのかも知れない。時間は無情だから、時間が経過してみると、何処が分岐点だったか分かるのだが、その時点では、慧眼の者でも分からない、首が落されたことに気づかないで歩いているようなとろい奴、というのが我々の在り方なのかもしれない。
岡目八目とは言うが、鳥瞰と接眼と、同時には難しいのである。
進退を誤ったことには、時間が過ぎて気づくのかも知れない。
・・・・徳川慶喜が勝海舟を恨んでいたのは、進退を誤らせられた、ということが一番奥にあるのかも。勝海舟は、そういうことは‹おまかせ›と思っていたようだが、慶喜さんは大いに気にする質のようだから・・・。
あの人が居なくなれば困る、という思いと、進退は、別だと、私は思うのだが、それに引きずられて、誤るのだろうねえ
今の時代でも、進退は視野に入っているのかも知れない。まあ、欲と二人連れのことだから、大体誤ってしまうのだろうが。
ボクのような、クマさん八さんには、すべて分からないところだが、あれこれと論ってみたいところではある。(著名人に限らず、誰もが、ボクにだって、進退の基準はある、と思っているとボクは思うがどうだろうか)
しばらく歴史ものから離れて、別分野の本を読もうと思っている。