自爆

といってもテロの話ではない。

車の運転の事である。

 

友人に、遊びに来ないかと連絡したところ、いま車を修理に出しているところだという。随分落ち込んでいて、話がすこし前後していたが、掻い摘んでいえば次のような状況であろう

家の門から外に車を出そうとしていた時に、クラクションを鳴らされて、ブレーキを踏んだ。その後、車が通りすぎたので、再度車を動かそうとしたが、その時に、前進するつもりがバックしたので、ビックリしてブレーキを踏むつもりでアクセルを踏んでしまった。それで、塀にこすり、道路の反対側のガードレールに激突した。

ということのようだ。

 

(彼は、家の前の庭に、前進の状態で入って車を止めている。だから出る時はバックで、それも一回か二回切り返さないと出られない筈である。)

 

前進するつもりがバックした、というが、聞いた話では、バックしている途中でブレーキを踏んでいたはずなのだが・・・

・・・どうも、もう一度前進して車の向きを少し変えようとしていた(頭の中ではそう思っていた、しかし、まだ車はバックしている時にブレーキをを踏んだのでギアはバックに入っていた)ので、次の動き出す瞬間には、前進にギアが入っているものと勘違いしたのにちがいない。

それで慌ててブレーキを踏もうとしたのだが、アクセルを踏んでしまったので、門柱をこすってガードレールに激突して止まった(ガードレールの先は3メートルほどの崖でその下は川である。よくそこで止まった。運がいい)

 

本人はそのときまで、アクセルとブレーキを踏み間違えるとは、なんと愚かな、と思っていたが、”自分でやってしまった❣”と、ひどく落ち込んでいて、車を運転するのが怖くなった、と話している。(怖くなって当然だ)

 

・・・次の免許書き換えは来年なのでその時免許証を返還しようと思い始めているという。それがいい、と応えた

 

彼の場合、かなり田舎に住んでいるので車がないと不便なのだが、奥さんも息子も運転するので、乗せてもらうことは可能だ。・・・ただ、気の向いた時に運転する、ということは出来なくなるわけだが・・・。

 

彼は私と同い年である。考えさせられる。

私も、誰かを乗せるということには極めて消極的である。そちらに気を取られて安全運転する自信はもうないから。もう大分前からそう思っていたが、こういう話を聞くと、考えることと行動が直結していないことが(あらぬことを考えることが)極めて危険だということを改めて思われる。