『闘う文豪とナチス・ドイツ』一応読み終わりました。

なかなか読みにくい本でした。

これは、誰にとってもなのか、ボクにとってだけなのか、分かりませんが。

トーマス・マンというのはどうも分かりやすい人間ではない。

池内さんはよくまとめていて、それで、何とか、最後までたどり着いたという感じかな。池内さんに感謝、ですね。

 

マンの本音は、写真は何時も正装で、というようなところに顕われているのではないか、と。

つまり、本心を見せないのが本心か、という思い。

それでも、もやもやしていたものが

 

岩波文庫『講演集 ドイツとドイツ人』の解説(青木氏)を読んで、すこし、分かったような気がしました。

 

この分かりにくさというのは、20世紀の特徴なのかもしれません。

最晩年に、カフカという作家と出会う(ヒトとではなく作品と)。なかなか面白い出会いです。19世紀的人物と、20世紀的人物の出会いの様な。

 

時代に翻弄される。それは誰も同じだが、やはり、象徴的人物というのは居るのだな、と思いましたね。

 

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『非政治的人間の考察』というのを、機会があったら読んでみたいな、と思いました。というのも、彼の作品を読もうとして、何度も挫折して、結局一冊も読み通したことがないから。小説でないものに目を通しても好いのでは、と思ったわけですが、

筑摩叢書の3冊本ではちょっと手が出ませんね。それに、もう図書館にしか置いてないようです。トーマス・マン自体が、ゲーテのように、名前は知られていても、もう読まれない、ということなのかもしれませんね。(ちなみに、ゲーテの代表作のいくつかは若い時に読みました。マンとちがい最後まで読むことが出来ました。そうそう。ボクは大江健三郎も全く読めなかった。渡辺一夫さんの本は大好きでよく読んだのですがね。ノーベル賞作家は読みにくいのかも知れませんね。イシグロさんも、川端さんも、読んでいません。途中挫折です。)

 

山陰の冬らしい気配が出てきましたね