『三国志』  8

第四冊を終え、第五冊に入る。

その前に;『三国志』では、徐庶は、母からの偽手紙におびき出されて玄徳の元を去ることになっているが、『諸葛孔明』では、荊州曹操に攻撃され、逃避行をしている最中に、老母が敵の虜になってしまったので、心中煩悶しながら、曹操に投じた、と書かれてある。p60

なぜ、なんのために書き換えたのか。気になるところです。そういうところはいっぱいあるのだが、これはその一つ。

たしか、若い時にいろいろ読んだのは、そういう疑問にひかれてであったが、今は全部忘れてしまっている。

今でも、たぶんこういう理由なのではないか、と考えないではないが・・・

今回は深入りするつもりはない。いまは多分、当時よりもかなり簡単に調べられるとは思うけれども・・・それもしない。

 

レッドクリフ』は見ていないが、いよいよ赤壁の戦いの場面である。

このあたりは一つの山場ではあると思うのだが・・・実際は、おおくは周瑜の手柄なのであろうが、『三国志』では、なんか、周瑜は矮小化されていて、ちょっと残念である。

漢室再興という大義名分を欠いているからといって、ここまで貶めることはないのではないか。

・・・今の日本人には、ときどき、大義名分の欠片でも知ってほしいと思わないではないけれども・・・。

劉備と簒奪者曹操を際立たせるには、他は少し矮小化せざるをえない、ということなのだろう。

 

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