『三国志演義』 14

第102回の冒頭で、関羽の息子が病没する。孔明は、声をあげて泣き、昏倒してしまう。張飛の息子が怪我が元で破傷風になり死んだことに続いて、二回目の昏倒である。

 

・・・孔明はずいぶん怒りっぽくなってきているし、部下に対して厳しすぎるところが目に付いていた・・・せっかくいいところまで進軍していても、味方の裏切りで、呼び戻されることも、二回。・・・

 

第101回の終り、最後の出兵の前の挨拶の場面で、次のような会話が記される。

孔明『・・・このたび、もしよこしまなやからを掃い清め、中原を取り返さねば、誓って陛下にお目にかかりますまい。』

後主(劉備の子)『ただいま鼎の三本足のごとき勢いとなって、呉や魏も侵入してはこぬものを、相父どのには何ゆえ太平を楽しもうとはせられぬ。』

孔明『わたくしは先帝の知遇の恩に感じまして、夢の間も魏を伐つはかりごとを忘れません。・・・』⑨p106

 

なんかプーチン大統領に重ねてしまいますね。

 

孔明は、劉備から、「自分の子供がダメな奴なら、お前が国主となって、漢の再興を果たしてくれ」と遺嘱され、それに縛られてしまい・・・歳とともに、焦り始めたのでもあろうか。周りから浮き上がってしまって、いら立ちが見えてくるようである。

 

当時一緒に戦ったものは全て鬼籍に入り、漢の再興を志すものはもう誰も居ない。孤独・・・住民は、おそらくは、徴税に苦しみ、徴税官は、思うように取り立ても出来ずに補給が滞り・・・期日に遅れれば、孔明に叱責され、さらには首を切られる。鞭打たれる。やむなく裏切る。・・・

 

「漢の再興」という理想を共有するもののいなくなった今、孔明は、ほとんど理解されない。・・・・・・ああ。

 

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ずいぶん暖かになってきた。今日から梅まつり。今年はすこし遅いが・・・。

どうしようかな。すぐ近くではあるが・・・。